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FIFA女子ワールドカップフランス2019

6月7日スタートの[サッカー]FIFA女子ワールドカップフランス2019メンバーの血液型です。
今回はB型が多めのようですね。

FIFA2019.JPG

GK 1 池田咲紀子(浦和L) ?
GK 18 山下杏也加(日テレ) B
GK 21 平尾知佳(新潟L) A
DF 3 鮫島彩(INAC神戸) A
DF 2 宇津木瑠美(シアトル・レイン) A
DF 4 熊谷紗希(リヨン) O
DF 23 三宅史織(INAC神戸) A
DF 22 清水梨紗(日テレ) A
DF 5 市瀬菜々(仙台L) ?
DF 16 宮川麻都(日テレ) B
DF 12 南萌華(浦和L) ?
MF 10 阪口夢穂(日テレ) O
MF 7 中島依美(INAC神戸) O
MF 15 籾木結花(日テレ) O
MF 14 長谷川唯(日テレ) B
MF 6 杉田妃和(INAC神戸) O
MF 17 三浦成美(日テレ) B
FW 9 菅澤優衣香(浦和L) O
FW 8 岩渕真奈(INAC神戸) O
FW 20 横山久美(長野L) O
FW 11 小林里歌子(日テレ) A
FW 13 植木理子(日テレ) B
FW 19 遠藤純(日テレ) B

[ペン]O8 A8 B6 AB0

監督 高倉麻子 A
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野村総研 信じる?信じない?血液型別性格診断 [論文]

野村総研の消費意識調査で、血液型によって統計的に有意な差が見られたのは、全質問32項目のうち次の5つの項目とのことです。

1. 名の通ったブランドやメーカーの商品であれば、そのぶん多少値段が高くても良い
 最高 A(12.7%) 最低 O(8.6%)
2. 流行にはこだわるほうである
 最高 A(5.6%) 最低 AB(1.0%)
3. 周りの人と違う個性的なものを選ぶ
 最高 AB(16.0%) 最低 O(9.6%)
4. レンタルやリースをよく利用する
 最高 AB(5.7%) 最低 A(2.1%)

出典)野村総合研究所 2016年12-1月期シングルソースデータ(関東エリア 男女20-59歳)
A型747人 O型605人 B型475人 AB型194人

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1と2はわかるのですが、3はTPOによると思います。
AB型は意外と常識人が多いので、個性が発揮されるのは、他人の目を意識する必要がない場合でしょうね。

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和文学会誌は再現性問題にどのように立ち向かうか [論文]

講演論文
和文学会誌は再現性問題にどのように立ち向かうか
渡邊 芳之
基礎心理学研究 / 37 巻 (2018) 2 号

この講演論文の「血液型と性格」ですが、かなり微妙な内容で、読む人が読めば「ああ、なるほど」という感じですね。
行間を読まなければいけませんな…[たらーっ(汗)]

余談になるが,日本の心理学史においてもっとも多く追試されたテーマに「血液型性格関連説」がある(佐藤・渡邊,1995)。昭和の初期に古川竹二によって提唱されて以来100を優に超える追試研究があって(大村,2012;白佐・井口,1993),最近でも縄田(2014)による概念的追試が行われて血液型と性格との関連が「否定」されている。血液型性格関連説がここまで追試される原因は,心理学者の側にある,その説を認めたくない,否定したいという強い動機づけだろう。

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久住英二さん 血液型でわかるかかりやすい病気と対策 ほか [新刊情報]


血液型でわかるかかりやすい病気と対策 (扶桑社ムック)

血液型でわかるかかりやすい病気と対策 (扶桑社ムック)

  • 作者: 久住英二
  • 出版社/メーカー: 扶桑社
  • 発売日: 2019/05/10
  • メディア: ムック


【血液型別】女性の口説き方完全戦略図鑑

【血液型別】女性の口説き方完全戦略図鑑

  • 出版社/メーカー:
  • 発売日: 2019/05/09
  • メディア: Kindle版

紹介のみです。

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最近は赤ちゃんの血液型は調べないらしいです [サイト紹介]

5月5日はこどもの日です。

昔は赤ちゃんの血液型は教えてもらっていたことが多いのですが、現在はあまり調べないらしいです。

というのは、出生後まもなくの新生児は免疫が弱いので、一般的な「抗原抗体反応」で調べる検査では結果が正しく出ないことがあるからです。
もちろん、最近流行しているDNA検査で遺伝子を調べるとか、血液型抗原を直接調べればいいのですが、そうそう簡単にというわけにはいきません。

時間がたって、身体にだんだん免疫ができてくれば、「抗原抗体反応」できちんとした結果がわかるようになります。

【参考】

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出所:子どもの血液型っていつ調べる!? イマドキの血液型事情【パパン奮闘記 ~娘が嫁にいくまでは~ 第28話】
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週刊ポストで井沢氏と呉座氏が直接対決【おまけのおまけ②】 [井沢氏vs呉座氏]

しつこく、前回の続きです。

なお、この記事は、直接血液型とは関係がありません。

週刊ポスト 2019年 4/19 号 [雑誌]

週刊ポスト 2019年 4/19 号 [雑誌]

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 小学館
  • 発売日: 2019/04/08
  • メディア: 雑誌

もう一度、週刊ポスト4月19日号の呉座勇一氏の記事『井沢元彦氏の「反論」に答える』を読み直してみました。

要旨は、p115の小見出しにもあるように、『7世紀の「首都」は移転していない』です。
その根拠は、最近の発掘調査の結果、飛鳥岡本宮、飛鳥板蓋宮、後飛鳥岡本宮、飛鳥浄御原宮は、建物の建て直しや土地の造成工事はあったにせよ、同じ場所にあったということになります。

正確を期するために、p115から少々長めに引用し、それぞれを検証していきます[冒頭の数字は便宜的に私が付けました]。

1. 舒明天皇以降、藤原京が完成するまでの間、難波遷都・近江遷都するという一時的な例外があるにせよ、天皇の宮は基本的に同じ場所[飛鳥岡本宮、飛鳥板蓋宮、後飛鳥岡本宮、飛鳥浄御原宮]に存在し続けた。

では、舒明天皇から藤原京までの「天皇の宮」は具体的にどこにあったのでしょうか? 確認するため略年表を作ってみました。
なお、ソースはWikipedia、仁藤敦史氏の「都はなぜ移るのか」、そして井上光貞氏の「日本古代の王権と祭祀」で、 赤字は飛鳥岡本宮とは違う場所です。

都はなぜ移るのか: 遷都の古代史 (歴史文化ライブラリー)

都はなぜ移るのか: 遷都の古代史 (歴史文化ライブラリー)

  • 作者: 仁藤 敦史
  • 出版社/メーカー: 吉川弘文館
  • 発売日: 2011/11/21
  • メディア: 単行本

日本古代の王権と祭祀 (歴史学選書 (7))

日本古代の王権と祭祀 (歴史学選書 (7))

  • 作者: 井上 光貞
  • 出版社/メーカー: 東京大学出版会
  • 発売日: 1984/11/01
  • メディア: 単行本

《舒明天皇》629年~645年
 遷宮先:630年 飛鳥岡本宮(新規造営)
 移転①:636年 田中宮(岡本宮火災のため)
 移転②:640年 百済宮
 崩御地:641年 百済宮
《皇極天皇》642年~645年
 遷宮先:642年 飛鳥板蓋宮(改築)
 移転先:なし
 崩御地:なし
 ※小墾田宮への遷宮は異説あり
《孝徳天皇》645年~654年
 遷宮先:645年 難波宮(新規造営)
 移転先:なし
 崩御地:654年 同
《斉明(皇極)天皇》655年~661年
 遷宮先:655年 飛鳥板蓋宮
 移転①:655年 飛鳥川原宮(板蓋宮火災のため)
 移転②:656年 後飛鳥岡本宮
 移転③:?年 飛鳥田中宮(後岡本宮火災のため)
 移転④:661年 朝倉橘広庭宮(百済復興の戦のため)
 崩御地:661年 朝倉橘広庭宮
《天智天皇》668年~672年
 遷宮先:667年 近江大津宮(新規造営)
 崩御地:不明
(弘文天皇)諸説あり
《天武天皇》673年~686年
 遷宮先:673年 飛鳥浄御原宮(改築)
 移転先:なし
 崩御地:686年 同
《持統天皇》690年~697年
 遷宮先:飛鳥浄御原宮(遷宮なし)
 移転先:694年 藤原京

火災による遷宮を除くと、飛鳥岡本宮に遷宮(630年)してから藤原京に遷宮(694年)するまでの65年間に、飛鳥以外に宮があったのは百済宮(1年)、難波宮(10年)、朝倉橘広庭宮(1年)、近江大津宮(7年)の計19年、つまり全体の約30%の期間となります。
呉座氏のように、全体の期間の3割を占めるケースが「一時的な例外」と言えるかどうかは、かなり微妙なところでしょう。
※火災により遷宮した期間を考慮すると、全体の期間の約4割は首都が固定されていなかったことになります。

2. そして前述のように、難波遷都・近江遷都時も飛鳥宮はいわば「第二の首都」として維持された。したがって、井沢氏の言葉を借りれば、飛鳥時代の後半は「首都固定時代」ということになる。歴代遷宮の慣習を断ち切ったのは舒明の岡本宮があった地を宮に選んだ皇極天皇なので、持統天皇の火葬と首都固定は無関係だ。

上に書いたとおり、首都が固定していた期間は(呉座勇一氏の指摘する期間に限定すると)全体のほぼ70%ですし、難波京、近江大津宮への遷宮もあるので、飛鳥時代の後半が「首都固定時代」というには少々苦しいような気がします。

3. もし井沢氏が主張するように、天皇が亡くなるとケガレが発生するので(天皇の遺体を火葬しない限り)宮を放棄しなくてはならないのだとしたら、かつて宮があった場所に新しい宮を造るはずがない。藤原京以前は天皇の代替わりごとに「インフラの整備など街作りを一からやり直」していたと考える井沢説(『日本史真髄』小学館刊 2018年)は根本的に成り立たないのである。

この記述は明らかに間違っています。
飛鳥岡本宮、飛鳥板蓋宮、後飛鳥岡本宮では、どの天皇も崩御していません。

もっとも、飛鳥浄御原宮では天武天皇が崩御していますが、持統天皇は遷宮は行っていません。このときの葬儀は死のケガレを取り除くとされる「仏式」で行われているので、井沢説と合致しています。

仏教の導入とともに、仏式の葬祭儀礼が導入され、墓制も土葬から火葬に移っていく。伝えられる歴代の葬祭儀礼の記載上、仏式の導入は天武からで…
(井上光貞 日本古代の王権と祭祀 p126)

天武天皇は火葬ではなく土葬ですが、次代の持統天皇は火葬されています。

また火葬のはじまるのは歴代では持統からで…
(前掲書 p126)

やはり、「持統天皇の宗教改革」があったから遷宮しなかった、という井沢元彦氏の「仮説」の方が説得力があるでしょう。

呉座勇一氏は、最後に記事をこうまとめています。

4.井沢氏は数多くの「仮説」を発表しているが、その中から安土宗論と首都固定時代論を選んで、私に回答を要求した。ということは、井沢氏はこの二つにはとくに自信を持っているのだろう。その選り抜きの二つでさえこの体たらくである。他の「仮説」の精度は推して知るべし。わざわざ検証する価値があるとは思えない。

「安土宗論」については、呉座勇一氏の「反論」より井沢元彦氏の「仮説」が妥当なことは論証しました。

そして、「古代の首都移転」についても、以上のことから判断すると、やはり井沢元彦氏の「仮説」の方が呉座勇一氏の「反論」より妥当だと言えるのではないのでしょうか?

余談ですが、血液型と直接関係ない歴時談義に、なぜ私がこれだけこだわるかというと、それは文系の論争がどう進行するかを知って、今後の参考にしたいからです。

結論としては、血液型とほぼ同じパターンであることがわかりました。

・「血液型と性格」に専門家がほとんどいないのと同じく、「古代の首都移転」や「安土宗論」には専門家は極めて少ない。
・このため、「専門家」と思われている心理学者(血液型)や歴史学者だからといって、特に知識(エビデンス)に優れているわけではない。具体的に言うと、心理学者は「血液型」や「統計学」の知識が乏しく、歴史学者は「宗教学」の知識に乏しい。
・よって、「血液型と性格」「古代の首都移転」「安土宗論」などでは、専門とされる学会ではその専門を超える学際的な議論が行われることは非常に少なく、今回のような「公開討論」が大部分である。
・そういう場合は、エビテンス(事実)に基づいて「在野」や「素人」が反論しても、「専門家」は無視することがほとんどである。

なお、この件について、以前に私へ「反論」のツイートをいただいた人に返してみましたが、全て無視されています。
非常に残念な結果となってしまいました…[たらーっ(汗)]

※初出の記事から微修正しました。
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