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週刊ポストで井沢氏と呉座氏が直接対決【続】 [井沢氏vs呉座氏]

前回の続きです。

この記事は、直接血液型とは関係がありません。

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出典:井沢元彦氏のtwitter

その後、3月25日発売の「週刊ポスト」4月5日号に井沢氏の反論が掲載されました。
大方の予想に反して、井沢氏の方から議論を打ち切りましたね。

週刊ポスト 2019年 4/5 号 [雑誌]

週刊ポスト 2019年 4/5 号 [雑誌]

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 小学館
  • 発売日: 2019/03/25
  • メディア: 雑誌

#余談ですが、井沢氏の執筆記事を読んで、かなり昔の筒井康隆氏(井沢氏と同じB型)の「断筆宣言」を思い出しました。


この記事を私なりに要約してみます。

1. 呉座勇一氏との論争はこれで打ち切る。理由は次のとおり。
・ 井沢氏の「呉座勇一氏への公開質問状」(週刊ポスト3月15日号掲載)には一応回答があったものの、特に「古代日本の首都移転」については「井沢仮説」を全くの無価値とし「推理小説家に戻られてはいかがだろうか」とまで言い切っている。よって、今後も真摯な回答を得られる見込みはない。
・呉座氏は歴史学者であるが、その見解は決して歴史学界を代表するものではない。

2. 「安土宗論」は、井沢氏が十数年前に『逆説の日本史』で言及したときは、八百長説が通説であった。理由は、歴史学の大御所がそう決めつけていたからだ。「学問の世界」では認められなくとも「間違いはどんな大御所が言おうと間違い」である。だが、このことを社会に認めさせるのは困難だ。

3. 呉座氏は、井沢氏の「古代日本の首都移転」の宗教的解釈に基づく仮説を「史料的根拠がまったくないので論評の必要は無い」と断じた。そもそも、井沢仮説を否定するなら宗教学者に確認したのか? 文献的史料にしか目を向けないのは、それこそ井沢氏の指摘する「史料絶対主義」であり「宗教の軽視」である。

私としては、学者が一次資料が読めると自慢していられるのは今のうちだけだ。近い将来、AIで古文書はだれでも読めるようになるから、学者の優位性が消滅するのは時間の問題だ…などという反論を期待していたのですが。
実際、Google翻訳やパターン認識技術の進歩を考えると、そうなる可能性も決して否定できないと思います。

古生物学では、現在は化石だけではなく、炭素14による年代測定とか、DNA分析などの複数の手法を併用しているわけです。それを歴史学のように「資料に基づく」ものしか認めない(らしい?)ということは、現在の科学技術の進歩から見て妥当なものなのでしょうか? 正直なところ、かなりの疑問を感じざるを得ません。

ネットで調べてみたら、古文書の判読はかなり研究が進んでいるようです。次は一例です。

古文書の崩した「かな」を判読 農工大がAI開発 (日経)
源氏物語を解読するAI、また一つ人間の仕事を代替か (AI-SCHOLAR)

一次資料が読めるのは、そのうちそろばんが上手いと同じようなことになってしまうかもしれません。

もっとも、現在のAIの能力では、まだ古文書はまともに読めません。
たとえば、英語の文献を解釈するのに、Google翻訳で訳出された日本語を読めば十分だと言ったら笑われます。
やはり、古文書を読める能力は極めて貴重であり、敬意を払うべきだと思います。

もう一つの疑問は、ネット上でなぜ呉座氏を支持する声がここまで大きいのかということです。
正直なところ、私は呉座氏の記事を読んだときに、「史料絶対主義」ではないと感じると同時に、学界の立場からするとそういう言い方になるのなぁ…とも感じました。「学者」だろうが「在野」だろうが、事実の前には平等のはずです。在野の人の主張を否定する論拠が、その人が在野だからというのは、ちょっと違うのではないでしょうか。

前回も書きましたが、呉座氏の論拠が「史料絶対主義」ではなく、少々貧弱と思われる例を挙げておきます。

●呉座勇一氏の回答(週刊ポスト2019年3月29日号)

現在の日本の歴史学界が宗教軽視という理解はあたらない。一例として、三重大学の山田雄司氏の専門は怨霊研究であり、複数の著書もある。


●呉座勇一氏本人の論文(日本中世の地域社会における集団統合原理の研究

一揆の本質を神への誓約ではなく、文書に基づく人と人との「契約」に見出すべきなのである。

この論文に端的に表れているように、少なくとも呉座氏が「宗教軽視」であることは明らかです。

古文書とは関係なく、呉座氏の主張が妙だと思われる箇所はまだまだあるのですが、井沢氏がなぜそういった指摘をしなかったのかは、私には謎です。

余談ですが、今回が「血液型と性格」と同じパターンだとすると、井沢氏に否定的なのは歴史学の関係者が多く、そういう発言が目立つからという理由も考えられます。私のような普通の人は、そこまで詳しくないからあまり発言しませんからね。

歴史とは関係ない話ですが、「血液型と性格」でも全く同じです。心理学者などの性格の“専門家”でさえ「統計学」を全く無視して語る人が多く、さらにはそういう“専門家”の言説を無批判に信じる人が多いのに驚かされます。統計データは、最近になってWikipediaが大幅に書き換えられて、以前の「データに差が無い」という通説はほぼ否定されました。今回の井沢元彦氏の指摘と全く同じパターンなのです。
現在では、少なくともデータをめぐる論争では、(血液型と性格に関係がないという)いわゆる「否定派」の多くが沈黙してしまいました。

――――――――――――

別件として、アゴラ上の「呉座-八幡論争」の経緯を掲げておきます。
こちらは、一旦「停戦」となりました。
アゴラ編集部によると、Facebook上の八幡氏の発言が「炎上」したのが理由のようです。

こちらは、古文書が云々、歴史学の方法論というようなことになったら、八幡氏の勝ち目はないので、事実関係に絞った論戦を予想していたのですが…。
なぜ八幡氏がそういう展開にしたのかは謎です。
私としては、歴史学の「方法論」ではなく、古文書の判読能力とは関係ない「事実」に基づいた論戦を期待していたので、かなりがっかりしました。

#ただ、アゴラは、こういうオープンな形での論争を掲載しているので、私の好みにぴったりと合っています。

●八幡和郎氏の投稿
呉座氏は百田・井沢氏より大胆な飛躍がお好き 2019年03月25日 06:00
週刊ポスト:井沢氏が呉座氏に一方的終結宣言 2019年03月27日 06:00

●呉座勇一氏の投稿
八幡氏への忠告① 評論家に歴史研究はできない 2019年03月25日 17:00
八幡氏への忠告② 人生経験は歴史研究に益するか 2019年03月26日 06:01

●早川忠孝氏の投稿
呉座氏VS八幡氏:触らぬ神に祟りなし、だが、アゴラ編集長が煽り? 2019年03月26日 16:00

●岩井秀一郎氏の投稿
呉座ー八幡論争でわかったこと --- 岩井 秀一郎 2019年03月28日 06:00

●アゴラ編集部
八幡氏VS呉座氏:「停戦」とします 2019年03月29日 11:30


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