SSブログ
2024年04月20日| 2024年04月25日 |- ブログトップ

邪馬台国“近畿説”は「学説」なのか? [ゲノム解析で古代史]

とある邪馬台国“近畿説”の考古学者の方とネットで議論したので、勉学のために推奨された本[本]を買って全部読んでみました。


魏都・洛陽から倭都・邪馬台国へ ―『親魏倭王』印の旅―

魏都・洛陽から倭都・邪馬台国へ ―『親魏倭王』印の旅―

  • 出版社/メーカー: 雄山閣
  • 発売日: 2019/11/05
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)


日本の誕生 (岩波新書 新赤版 510)

日本の誕生 (岩波新書 新赤版 510)

  • 作者: 吉田 孝
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 1997/06/20
  • メディア: 新書


邪馬台国 (古代を考える)

邪馬台国 (古代を考える)

  • 出版社/メーカー: 吉川弘文館
  • 発売日: 1998/06/01
  • メディア: ハードカバー


邪馬台国論争 (講談社選書メチエ 52)

邪馬台国論争 (講談社選書メチエ 52)

  • 作者: 岡本 健一
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 1995/07/01
  • メディア: 単行本


邪馬台国論争

邪馬台国論争

  • 作者: 原田 大六
  • 出版社/メーカー: 三一書房
  • 発売日: 2024/04/25
  • メディア: ペーパーバック

しかし、残念なことに、邪馬台国“近畿説”は「学説」として成り立っているのかどうか、私には全然理解できませんでした。

なぜなら、魏志倭人伝の記述である「距離」「方角」「墳墓」をほぼ全部否定しない限り、邪馬台国は近畿には存在できないからです。
たぶん、文献史学的に「距離」(1万2千里)、「方角」(帯方郡の南方)、「墳墓」(卑弥呼の墓は円墳)を説明している本はないのでは?

仮に、魏志倭人伝がそこまで信頼できないなら、そもそも邪馬台国自体の年代だけではなく、存在自体も怪しいと推測するのが普通でしょう。

もし、“近畿説”では年代も存在自体も絶対確実だが、他の記述はまったくデタラメだと主張するなら、それなりの(屁・笑)理屈や論理が必要なはずですが、残念ながら私の力では発見できませんでした。
言い換えれば、ポパー的な反証は不可能ということになります。

こうなると、私が一番理解しやすいのは、邪馬台国は近畿(大和)にあるという結論が先にあり、それを正当化する証拠を探してくるのが“近畿説”というものです。
それなら、そもそもポパー的な解釈などは“邪道”かつ不要、ということになります。

こう考えると、確かに上記の本の記述は極めて素直に理解が可能です。
また、この構造は例の「発掘捏造事件」とも酷似しています。

これに対して、邪馬台国九州説は、(少なくとも論理的には)簡単かつ単純です。
魏志倭人伝の記述は基本的に正しいし、政治的な理由などで書き換えられた部分は○○で、その理由は××ということになります。
もちろん、その(屁・笑)理屈や論理が正しいかどうかは別として、少なくとも「学説」としては成り立ちます。
また、ポパー的な反証は、少なくとも限定的には成り立ちます。

もちろん、「放射説」のように、現在の基準では相当怪しいものもありますが、少なくとも魏志倭人伝に沿って解釈していることが基本です。

そして、こう考えると、ここまで考古学的な証拠が多くなっても、論争に決着が付かない理由も明らかでしょう。
なぜなら、「邪馬台国論争」は学術的なものではないからです。[たらーっ(汗)]

そもそも、専門家の正否の認定基準が不明なため、ポパー的な反証は不可能ということになります。
言い換えれば、どういう条件が満たされるなら、近畿説や九州説が正しいのか不明なのだから、はじめから「水掛け論」なのです。

では、議論に決着を付けるためにはどうすればいいのか。
これは「血液型論争」を経緯を見れば明らかでしょう。[ひらめき]

【2024.4.28追記】

近畿説では、特に箸墓古墳に非常にこだわるのが不可解です。魏志倭人伝によると、卑弥呼の墓は「円墳」。それを無視し、「前方後円墳」である箸墓古墳が彼女の墳墓だというなら、年代も無視しないと辻褄が合わない。それなのに、C14法の年代にあれだけこだわるのは奇妙というしかありません。なぜ誰も指摘しないんですかね?
箸墓古墳にこだわらず、当時の大和は北部九州より先進的だというなら、まだ理解できるのですが…。


コメント(0) 
2024年04月20日| 2024年04月25日 |- ブログトップ