SSブログ

247年3月24日に「天の岩戸の日食」があった!? [ゲノム解析で古代史]

japan_amaterasu_oomikami.png

天の岩戸の日食は、247年3月24日と248年9月5日が有力な候補になっています。

さて、この日食ですが、実は地球自転の遅れ(ΔT)が不安定なので、きちんとした計算ができません。
247年3月のΔTは、次のサイトだと8,189.8秒です。
https://keisan.casio.jp/exec/user/1348207854

この最新の数値を入れて計算すると、247年3月24日は完全な皆既日食にはなりませんが、北部九州なら食分0.95ぐらいと思われるので、相当暗くなるとは思います。
日没時に太陽が見られれば、ほぼ真っ暗になって沈んでゆくことになります。
(この日食は、魏の都・洛陽でも観測されているそうです)

なお、倭国大乱の原因と思われる158年7月13日には、北部九州でも大和でも皆既日食になります。
この日食は、新羅の首都である慶州でも観測されたと歴史書に記録されています。

そして、北部九州に限ると、168年12月17日に日没時に金環食になります。

参考『天の磐戸』日食候補について 国立天文台
https://www.nao.ac.jp/contents/about-naoj/reports/report-naoj/13-34-3.pdf
参考 247年3月24日の日食について
https://www.nao.ac.jp/contents/about-naoj/reports/report-naoj/14-34-1.pdf

iwato2.PNG

なお、天照大神は卑弥呼だという説があり、魏の使者か倭国に到着した249年には、卑弥呼は既に死亡していました。

天照大神の別名は大日孁貴神(おおひるめのむちのかみ)で、当時は神様と話せるのは独身女性だけです。名前に貴神とあるとおり、極めて位が高い女性ということになります。

それが、何の前触れもなく突然日食になれば、宗教的には彼女は霊力を失ったとされるので、最悪の場合には殺害されることもありえます。
これは宗教的にはよくあることです。

そして、このことには再現性がある(らしい?)こともわかります。

158/168年の日食⇒倭国大乱
247年の日食⇒卑弥呼の死→男王が引き継ぐが混乱→台与が引き継いで終息

158年と247年のどちらも、新羅や魏では日食が観測されていますから、日本でも日食が観測された可能性は高いと考えられます。
コメント(0)