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やっぱり朱子学的な疑似科学批判

疑似科学批判をするなら、科学的に分析可能な事象について「正確な事実の提供」をしなければならないはずです。しかし、少なくとも「血液型と性格」や「マイナスイオン」についてはそうではありません。それはなぜか?

まず、井沢元彦さんの週刊ポストへの連載「逆説の日本史」から、マスコミへの批判を引用しますので読んでみてください。

週刊ポスト 2020年 3/6 号 [雑誌]

週刊ポスト 2020年 3/6 号 [雑誌]

  • 出版社/メーカー: 小学館
  • 発売日: 2020/02/17
  • メディア: 雑誌

マスコミの使命は「国民の判断に供する正確な事実の提供」であるはずなのであるが、残念ながら日本は戦前も戦後もそうした本来のマスコミが完全な形で成立したことは一度も無い。とにかく「日本は正しい」あるいは「日本は間違っている」という絶対的な前提のもとに忖度して情報を提供する、いってみれば「教導機関」になってしまっている。

「良心的」であればあるほど、そうした誤った目的のために努力するというとんでもないことになってしまうのが日本のマスコミの最大の問題なのである。

この「マスコミ」を「疑似科学批判」に置き換えると、まさにぴったり当てはっていることがわかるでしょう。
その理由を、井沢さんはこのように説明しています。

マスコミ人の歪んだエリート意識があるだろう。これは戦前の軍人たちにも戦後の霞が関の官僚たちにも見られるものだが、要するに一般大衆を信用していないということだ。「愚かな」大衆は放っておいたらとんでもない方向に行ってしまう。「賢い」われわれが導くしかない、という思い込みである。

根本にあるのは一般大衆への侮蔑であり、侮蔑するのは自分たちが特別に優れた存在だと思い込んでいるからである。

つまり、上から目線で一般の人々に対する「啓蒙」をすることが、疑似科学批判の使命だといういうことになります。
これらは、典型的な明治的啓蒙主義の思想なので、江戸時代の官学だった朱子学の流れをそのまま受け継いでいるわけです。朱子学の基本は人々の上下関係を明確に区別する身分制度ですから、そういう発想とぴたり一致していることがわかります。

こういう態度が、「血液型と性格」や「マイナスイオン」への批判に明確に現れているのです。
実は、ほとんどの「血液型と性格」について批判には、根拠がありません!!
信じられない人がいるかもしれませんが、これは事実です。

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出典:Twitter

疑似科学批判者によくある言説で、「科学は絶対的な真理」「疑うことは許されない」という、非常に硬直的で宗教的な態度をとるのには、このような理由があるのですね。[バッド(下向き矢印)]

よろしければ、Togetterのセルフまとめもどうぞ。
[1]永江一石さんとの「血液型と性格」についての対話
[2]血液型と性格を否定する根拠って何?
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樊承岩さん 中国人の血液型ブログ [サイト紹介]

中国人の樊承岩さんの血液型ブログです。

樊承岩的博客

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【仮訳】
 まず、筆者は日本人学者能見正比古の研究成果を見れば、血液型と性格、気質の間には弁明の余地のない関連が存在することは確実であると確信している。その中で、気質は人の機体の先天的に備える機能であり、性格は気質という基礎の上で後天的な環境要素の刺激で形成する応変現象であり、血液型が人の気質を決定し、異なる血液型が異なる気質要素を決定する。
 次に、気質と人間の思考は関連があると考える。異なる気質が生じる本当の原因は、その背後に異なる思考があることであり、思考の違いは、その方式、つまり考え方の違いにある。
 第三に、ある遺伝子はヒトの精神現象と関連があると考える。血液型と気質関係の研究成果に基づき、筆者は遺伝子の一つである血液型遺伝子が思考モデルと関係があり、異なる血液型遺伝子が異なる思考モデルを決定したことを見て、更に根本的な思考モデルの概念を提出した。本来、生まれつきの意味;基者、基礎、基盤の意味、即ちこのような考え方は遺伝子が決定し、生まれ持ったものであり、同時にまた基本的にカバーする意義を持つ。
 人間の思考には基本的なパターンがあると思う。
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