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草書体で解く邪馬台国への道程 [ゲノム解析で古代史]

自分のための備忘録です。

草書体で解く邪馬台国への道程―書道家が読む魏志倭人伝

草書体で解く邪馬台国への道程―書道家が読む魏志倭人伝

  • 作者: 井上よしふみ
  • 出版社/メーカー: 梓書院
  • 発売日: 2019/09/01
  • メディア: 単行本

確かに、草書体だと「壹」と「臺」はそっくりですね。

邪馬台国.png
出所 草書体で書かれていた魏志倭人伝 1:19:47

《参考》

「邪馬台国」はなかった (朝日文庫)

「邪馬台国」はなかった (朝日文庫)

  • 作者: 古田 武彦
  • 出版社/メーカー: 朝日新聞
  • 発売日: 2023/10/15
  • メディア: 文庫

※魏志倭人伝の記述は邪馬「壹」国で、邪馬「臺」国ではない。

邪馬台国は山門郡だと思っていたのですが、朝倉市なのかな?

(ここより引用)

古代日本に存在したという「邪馬台国」の所在地については諸説紛々だが、次のYouTubeの説が面白い。
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https://www.youtube.com/watch?v=U1D0EURZBpY
草書体で解く邪馬台国の謎 (井上悦文 久留米地名研究会)
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〇邪馬台国の所在地は、中国の晋(西晋)の時代に陳寿が著した「三国志」に記されている。
〇陳寿は三国志を木簡に記したが、当初は正史と認められなかったため、王宮ではなく陳寿の自宅に保管されていた。
〇陳寿の死後、三国志が非常に優れており国政に役立つと評価されるようになったことから、晋の役人が陳寿の自宅に赴き、筆写した。
〇三国志は膨大な文字量であるところ、陳寿は4年間で書き上げたとされており、もし陳寿が、当時用いられていた書体のうち篆書体や隷書体で書いたとすれば時間が不足することからして、陳寿は草書体で書いたと推測される。
〇草書体は崩し書体であるため、他の類似文字と判別することが難しいことがままあり、筆写に当たり誤写しがちである。
〇晋の役人が筆写した際、陳寿はすでに死去していたため、紛らわしい文字がどの文字かを本人に確認することができなかった。
〇今日われわれが目にする三国志は、晋の役人が筆写した三国志をそのまま複写したわけではなく、草書体を楷書体に置きなおした版本である。その楷書体の文字に対応すると考えられる草書体の文字をリストアップし、それらによって三国志を書き直してみると、九州にある実際の地名にマッチする文字が次々に見つかった。
〇例えば、版本の三国志は「対馬国」を「対海国」と表記していることに異論がないが、草書体の「海」字は「馬」字に酷似している。また「一支国」を「一大国」と表記していることに異論がないが、草書体の「大」字は「支」字に酷似している。また「投馬国」の「投」字の草書体は「殺」字の草書体に酷似しており、したがって「投馬国=殺馬国=薩摩国」と推測される。また「山壹国」の「壹」字の草書体は「䑓」字の草書体に酷似しており、したがって「山壹国(ヤマイチコク)=山䑓国(ヤマダコク)」と推測される。(以下略)

(引用ここまで) 引用先 https://blogs.yahoo.co.jp/miranda_bacy/13825946.html?__ysp=6I2J5pu45L2T44Gu6Kqk5YaZ(リンク切れ)

「草書体で解く邪馬台国の謎」の紹介
http://tmmanbou.blog.fc2.com/blog-entry-59.html


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