SSブログ

水田稲作が伝来した経路は? [ゲノム解析で古代史]

自分のための備忘録です。

個人的に、水田稲作が伝来したのは遣唐使の北路、具体的には山東半島⇔北部九州と思っています。

さて、山口県下関市の土井ヶ浜遺跡には、弥生時代に山東半島の斉から来たとされる人骨が静かに眠っています。
https://www.doigahama.jp/

で、この人骨のミトコンドリア・ハプログループはD4b2b1なのです(赤枠↓)。

Population dynamics in the Japanese Archipelago since the Pleistocene revealed by the complete mitochondrial genome sequences
Fuzuki Mizuno et al.
Scientific Reports 2021
https://www.nature.com/articles/s41598-021-91357-2

41598_2021_91357_Fig2.png

これは、弥生時代になって急激に増えたタイプです。

前回も書いたように、長野県と神奈川県の縄文人には、このタイプが発見されています(赤枠↓)。

Diversity in matrilineages among the Jomon individuals of Japan
Fuzuki Mizuno et al.
Annals of Human Biology 2023
https://doi.org/10.1080/03014460.2023.2224060
mizuno.png

ということは、昔から縄文人は山東省と交流があり、水田稲作もこのルートで伝来した…というのが最も自然なのではないでしょうか?

ちなみに、前回のデータでは、山東省の人々ではD4の率は20%程度で相当高いです。

もっとも、現代日本人ではもっと高い30%以上なので、弥生時代に淘汰圧で増えたのかもしれません。
だとすると、お酒に弱い遺伝子と同じパターンですね。

コメント(0) 

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

Facebook コメント