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ミトコンドリア・ハプログループD4a1は本当に渡来系なのか?【続々】 [ゲノム解析で古代史]

前回の続きです。これまた、自分のための備忘録となります。

その後、篠田謙一氏が2016年3月19日にJICAで講演したスライドを見つけました。

DNAから見た日本人の起源―日本人成立の経緯―
国立科学博物館人類研究部 篠田 謙一

そうしたら、なんとその後の2019年の自著↓の記述を否定していたのです!

新版 日本人になった祖先たち DNAが解明する多元的構造 NHKブックス

新版 日本人になった祖先たち DNAが解明する多元的構造 NHKブックス

  • 作者: 篠田 謙一
  • 出版社/メーカー: NHK出版
  • 発売日: 2019/03/25
  • メディア: Kindle版

1. この本には、ミトコンドリア・ハプログループDは「弥生時代になって日本に入ってきたと考える方が自然」(第5章)とありますが、講演のスライド↓には縄文人のD4が示されています。
これは、 ハプログループDは縄文時代に既に入ってきていたということ? 以前の主張を変更したとは思えないので、非常に考えにくいのですが、ひょっとしたら書き間違え?

shinoda13.PNG

2. 講演のスライド↓では、ハプログループD4の中心は山東省や朝鮮半島になっていますが、前回に書いたように、その比率は20%台となります。これは日本の30%台より低いので、中心は山東省ではなく日本です。

shinoda10.JPG

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3. 山東省の斉の国から山口県下関市・土井ヶ浜遺跡に到来したとされる人々(DHxx)のハプログループD4は、主成分分析の結果によると、現在の日本人のD4のものと同じもののようです。

Diversity in matrilineages among the Jomon individuals of Japan
Fuzuki Mizuno et al.
Annals of Human Biology 2023

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ただ、↑の2を考慮すると、実は山東省のD4が縄文・弥生人由来なのか、あるいは縄文・弥生人が山東省に移住したものの、何らかの理由で里帰りしたのか…。

これだけではなんとも言えないので、より詳しい分析が必要になるでしょう。

常識的に考えると、わざわざ300人も来たとなると、何らかの新技術(たとえば最新の水田稲作技術)を持ってきたか、あるいは里帰りとするのが自然だと思います。

↑でもう一つ面白いことは、縄文人(黄色)や弥生人(紫色)のミトコンドリア・ハプログループは、土井ヶ浜遺跡の人々も含め、すべて現代日本人と同じであることです。

これには、

a. そもそも、ミトコンドリア・ハプログループでは地域性を区別しにくい
b. 弥生時代までには、渡来人は無視できるぐらい少人数しか来なかった
c. 半島動乱の時代に日本に渡来した百済・新羅・漢人と同じグループだった

といった可能性が考えられます。

まぁ、なんとも言えませんが、私は個人的にbではないかと思っています。

いずれにしても、従来の「二重構造説」は相当疑わしいことになりますね[たらーっ(汗)]

shinoda12.JPG

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