日本の心理学者は「血液型と性格」の結論を“忖度”している [論文]
森友学園問題で、忖度という言葉が流行しています。
辞書を調べると、
デジタル大辞泉
他人の心をおしはかること。「相手の真意を―する」
とあります。
ここで、面白いことに気がつきました。
日本語の「査読付き」心理学論文では、「データに差がある」というものは発見できません。
一方、外国語の査読付き論文では、データに差があるというものはゴロゴロしています。
では、日本にはデータに差があるという論文はないのでしょうか?
いや、そんなことはありません!
日本人が書いた査読付き論文でも、日本語ではなく「英語」のものなら、データに差があるというものはいくつかあります。
また、日本人が日本語で書いたものでも、査読なしであれば、データに差があるというものは決して珍しくありません。
ということは、日本語の論文では、執筆者が査読者の意図(血液型によるデータの差があるはずがない!)を“忖度”している可能性が高いことになります。
思いもよらない大発見のようです。
日本パーソナリティ心理学会の公式見解が典型ですが、確かに血液型によるデータの差があるはずがない!というのは、日本の心理学会のコンセンサスです。
この点については、もう少し詳しい考察が必要だと思われます。
辞書を調べると、
デジタル大辞泉
他人の心をおしはかること。「相手の真意を―する」
とあります。
ここで、面白いことに気がつきました。
日本語の「査読付き」心理学論文では、「データに差がある」というものは発見できません。
一方、外国語の査読付き論文では、データに差があるというものはゴロゴロしています。
では、日本にはデータに差があるという論文はないのでしょうか?
いや、そんなことはありません!
日本人が書いた査読付き論文でも、日本語ではなく「英語」のものなら、データに差があるというものはいくつかあります。
また、日本人が日本語で書いたものでも、査読なしであれば、データに差があるというものは決して珍しくありません。
ということは、日本語の論文では、執筆者が査読者の意図(血液型によるデータの差があるはずがない!)を“忖度”している可能性が高いことになります。
思いもよらない大発見のようです。
日本パーソナリティ心理学会の公式見解が典型ですが、確かに血液型によるデータの差があるはずがない!というのは、日本の心理学会のコンセンサスです。
この点については、もう少し詳しい考察が必要だと思われます。
2017-03-27 22:13
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