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「生涯投資家」として知られている村上世彰義氏はAB型 [新刊情報]

「生涯投資家」として知られている村上世彰義氏はAB型です。

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出所:みんなの株式(https://minkabu.jp/user/profile/329857

彼は村上ファンドを創設し、一昔前にニッポン放送株買い占めにまつわる騒動で一躍有名になり、結果としてインサイダー取引の疑いで2006年に逮捕されました。
そういうこともあり、私にはなんとなく「悪役」のイメージが残っています。
また、彼の会見を見ていても、確かに理屈は正しいかもしれないけれど、なにか冷たい感じで、失礼ですが「人柄がいい」という印象はほとんど、いや全く受けません。

その後、彼は日本を去り、シンガポールに拠点を移します。
最近になって、村上氏の評価は急上昇し、著書の「生涯投資家」や「いま君に伝えたいお金の話」がベストセラーになっています。
時代はめぐるということでしょうか…。


生涯投資家

生涯投資家

  • 作者: 村上 世彰
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2017/06/21
  • メディア: 単行本

いま君に伝えたいお金の話

いま君に伝えたいお金の話

  • 作者: 村上 世彰
  • 出版社/メーカー: 幻冬舎
  • 発売日: 2018/09/06
  • メディア: 単行本

これと正反対なのが、O型でソフトバンク会長の孫正義氏です。
最近では、10兆円ファンド構想を大きくぶち上げ、イギリスの代表的な経済誌「エコノミスト」の表紙を飾ったのは記憶に新しいところです。

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出所:The Economist(2018.5.12記事)

村上氏には、孫正義氏のような人のよさ、限りない事業欲、未来へのロマン、あるいは成功した事業家によく見られる「オーラ」はあまり感じられません。
あくまでクールに、数多くの数字をベースに合理的に判断していきます。
言葉は悪いですが、「趣味的」に投資を楽しんでいるようにも見えます。

AB型の特徴の一つに、何事にものめりこまず、客観的、合理的にデータを分析する、というのがあります。
新著「いま君に伝えたいお金の話」では、そういう傾向が典型的に現れています。

murakami.JPG

お金を増やす近道も、魔法もない。ただひとつ。
物事を数字に置き換えて、
計算式(期待値=儲かる確率)で考える。
小さなことから数字に親しむ、数字で覚える、
数字で考えるという練習を繰り返し、
数字に強くなることがとても大事なのです。
それが50年間お金と仲良くしてきた
僕が信じる絶対かつ唯一の方法です。
出所:日本経済新聞の広告(2018.9.15朝刊)


となると、「村上ファンド」設立は、AB型によくある「合理性」や「正義」の実現を目指すためだったのかもしれません。

AB型は、あくまで合理的な判断を優先するので、ベタベタした人間関係は嫌がりますし、心情的なつながりは弱いので、「人のよさ」を感じさせることは少なくなります。
それらが、結果的に村上氏の「悪役」の印象を強めたことは否めません。

時代は変わり、経済のグローバル化がますます進展している現在、村上氏のような合理的思考が必要になってきています。
そういう意味では、彼は少々時代に先行しすぎたのかもしれません。

残念なことに、私は血液型の数字は大好きですが、お金の数字はさっぱりです。
それが彼との大きな違いですかね…。[たらーっ(汗)]


コメント(4) 

コメント 4

欺善者

AB型は左翼的だというと怒られるかも知れませんが、何でも計算ずくで理詰めに割り切る、つまり、合理的、論理的、物理的、数理的に物事を捉えるという姿勢は、啓蒙主義、即ち唯物的であり、科学至上主義、統計至上主義、データ至上主義、実証主義に陥りやすいのではないかと感じていました。それは、「合理的なものは正義で理想的」という現実離れした発想にもなりかねません。

以前から指摘しているように、左翼思想の、自由、平等、人権、平和、博愛、寛容、多様性、連帯、人類皆兄弟、世界は一つ、などという共産主義的な平等思想に惹かれやすく極めて相性が良いと感じておりました。
能見氏によると、左翼政党はAB型の割合が高いそうで、女性の地位向上と人権(つまりフェミニズム)に取り組む市川房枝の正義感を、「AB型の合理性の怒り」などと評していました。

同じように、AB型の合理性の怒りと正義感からか、差別と人権問題と闘っているという、元防衛省トップの弁護士議員・稲田朋美の書いた文章を挙げておきます。
https://ironna.jp/article/10432

もし解説がなかったら、これのどこが変なのかと思われるかも知れませんが、とてつもなく長くなるので省略します。性道徳の破壊やLGBTについてはその内。ただ稲田は、ユダヤと左翼の策略に過ぎないLGBTを真に受けて、最初から「人権侵害・差別の被害者」という誤った前提で偏って捉えてしまっています。
つまり、偽善者を敏感に見抜き憎むのがAB型とのことですが、実際には、人権平等というレトリックを偽善だと全く見抜けずにいるということです。稲田こそ、人権の綺麗事で正義の味方面した偽善者ではないかと苦情を言いたくなりますが、やはり、能見氏の「血液型と頭の良し悪しは無関係」というのは真実だと思います。


何故、物事を理屈と計算で割り切る合理的・論理的思考に陥ると現実が見えなくなるのか、科学的合理性は正しいのではないのか、政治評論家・山本峯章氏のサイトより一部抜粋します。

人間や社会を支配しているのは、理屈をこえた、ふしぎなるもので、世界が理にかなったことだけからできているなどというのは、とんだカンちがいである。
「天皇の男系相続には合理的理由や論理的必然がない」といってのけた山尾志桜里は、先の衆院選(愛知7区/無所属)で当選後、ダブル不倫疑惑を報じられた倉持麟太郎弁護士を堂々と政策顧問に起用した。それが「合理的理由や論理的必然」のゆきつくところで、常識や恥の意識という社会通念を欠いたガチガチの唯物論なのである。

共産主義をうんだ唯物論はとっくに滅びたが、日本では、合理主義や論理的思考として、いまなお、左翼や反日主義者の最大の武器になっている。共産主義が滅びたのは、心というふしぎなるものを捨てたからで、唯物論が大手をふっているのは、中・朝の共産党国家と日本共産党、日本の左翼アカデミズムだけである。

日本共産党は「一つの家系(皇室)が日本を象徴する制度が未来永劫つづくのは不合理(日本共産党小池晃書記局長)」という立場に立っている。綱領で「日米同盟破棄」「自衛隊廃止」を謳うのと同じレベルの話で、合理や論理を立ててゆくと、現実を見失い、やがて、迷妄の世界へ落ちこんでゆくのである。
現実が、合理や論理をこえていることを理解しておかなければ、唯物史観や歴史実証主義に陥って、現実や生きた歴史が見えなくなる。

生きた歴史というのは、歴史の連続性のことだが、歴史学会や法曹界など日本のインテリは根こそぎ左翼で、小泉政権下の「皇室典範に関する有識者会議」の吉川弘文座長(元東大総長)は、誇らしげに歴史の断絶を宣言した。
 
いうまでもないが、天皇は歴史的存在で、万世一系は、歴史の連続性と一体である。ところが、古代史をみても、天皇中心の国のかたちが見えてこない。
歴史学者が唯物史観や歴史実証主義に立っているからで、合理や論理をとおして歴史を見ているのである。戦後、歴史書から天皇が消え、日本史は、日教組仕込みの唯物史観になった。
http://office-ym.seesaa.net/article/459034811.html


あと、ソフトバンクの孫正義の話が出たのでついでにこちらで。
東北大震災の時、孫正義らの朝鮮人がしゃしゃり出てきましたが、「環境に優しい」という欺瞞の看板の太陽光発電という虚構に国民はまんまと騙されてしまいました。
太陽光利権は朝鮮人とそれに便乗する売国奴によって食い物にされ、電力会社に高く買い取らせて我々の電気代に上乗せされているということですが、原子力規制委員会というのはそのために存在し、中身は反日左翼の売国奴で構成されています。
まだまだ原価償却しなければならないので国民に悪事がバレる訳にはいきませんが、日本の経済発展を妨害して支那・朝鮮系企業が競争に有利になるよう狙いがあるのです。
以下はその一例。
http://freezzaa.com/archives/3649

by 欺善者 (2018-09-16 21:36) 

ABOFAN

左翼に限らず「何でも計算ずくで理詰めに割り切る」人たちなら、冷静に血液型と性格の議論ができると思うんですが…。
橘玲さんの「朝日ぎらい」にも書いてありますが、現在の「左翼」や「リベラル」は、現状を1ミリたりとも変えるなという非常に保守的な人たちなので、「何でも計算ずくで理詰めに割り切る」スタンスからは一番遠い位置にいると思います。
それは、血液型否定論者にも通じる話です。
もちろん、進化論(中立進化)、マルチバース宇宙論(ひも理論)、最近流行の行動心理学のように、社会・経済・文化的現象や生物学や宇宙論のように、現在の学問では「何でも計算ずくで理詰めに割り切る」ことができない対象があることも明らかですね。
by ABOFAN (2018-09-17 07:55) 

欺善者

前投稿はAB型の方々に怒られることを承知で述べたもので、何故、その合理的思考をもってしても、左翼思想の「人権平等平和」という偽りの看板を偽善だと見抜くことが全く出来ないのか、左翼との親和性が高いのではないかと例を挙げて述べました。
これはまたお叱りを受けてしまうかも知れませんが、左翼思想はAB型の気質的にも自然なことで、思想的鍛練など何もしていない限り、ニュートラルの状態で既に左翼的、或いは左翼思想に惹かれやすいのではないかという懸念を持っているのです。

逆に、保守だというAB型に出会ったことはほとんどありません。稲田朋美の文章を例に挙げましたが、彼女はあれでも「自称」保守だそうで、あの文章を書いた者の名前を伏せて見せられたら、どこの共産主義者が書いたのかと私は思うでしょう。あのように、AB型が自称する保守思想に基づく、思想信条、歴史観などは全く当てにならないと秘かに疑っています。

安倍首相を呆れさせたという岸田文雄ですが、もし、AB型にも信念や信条があるというのなら、あのような情けないことにはならなかったのではないかと感じました。仮にも政治信条に基づく「岸田派」を立ち上げているのですから。これは怪しからん邪推ですが、特にAB型に政治信念を語らせると、稲田のように抽象的な「民主主義・自由・平等・人権・平和・反戦反核・環境」、つまり、左翼と同じ空想理念になりやすいのではと思っています。

まぁ、AB型に限らないのは言うまでもないですが、市川房枝や稲田朋美の合理性の怒りは、男女平等だの人権だの平和だのと、ガチガチの左巻き人権派と見分けが付きません。更に、LGBTが言われなき差別?を受けていて、彼らの人権を守れというのですから、怒りの矛先を間違えていると苦言を呈してやりたいです…どこが合理的なのかと。

ユニクロの柳井正になると、グローバル化だ、日本人だけで固まっているから駄目なんだ、多様化だ、もっと外国人を入れろ、外国へどんどん出てけ、現実を視よ、などと説教され、日本社会が多民族化して民族的、人種的、文化的、宗教的な摩擦や軋轢が起ころうものなら、偏狭な国粋主義だ、排外主義だ、外国人差別だ、寛容になれ、博愛だ、平等だ、などと、日本人の文化や精神性などは軽視、無視されて叱られてしまいます。
これを国家の破壊だとは気付かないのか彼に尋ねたくなりますが、まぁ、彼が例えAB型であろうと、拝金主義、物質文明主義、即ち、心や精神を無視・否定する唯物主義者、つまり、左翼的だと思わざるを得ません。

合理的思考については唯物的傾向に陥りはしないかという意味で、山尾志桜里の「天皇の男系相続には合理的理由や論理的必然がない」という主張にも、平等を重視する合理的思考から「男女差別的なもの」として共感し、皇室を時代錯誤の「身分差別的なもの」と否定してしまわないかということです。
伝統文化や道徳など、合理的に割り切れないものに対しても、合理的思考で考えてしまうと非合理に写り、「下らない因習」だと斬って捨ててはいないかということです。実際にもそのようなAB型をいくらでも目にしたからですが、これは伝統文化や道徳を破壊したい左翼の姿勢とも合致するからです。

何故、AB型の合理的思考でも左翼の「人権平和」という偽善が全く見破れないかというと、気質的に親和性が高くて自然なので気が付かないというのもありますが、現実の世界が余りにも壮大な話で合理的解釈を遥かに超えているからで、思考の落とし穴に嵌まり込んでいるとは気付かないのです。本物の洗脳とはそのような性質のものです。
自分の頭は冴えている、加齢でも絶対に呆けない、自分の目は盲目ではないから洗脳なんてものには引っ掛からない、などと豪語するAB型は実に多いですが、洗脳の意味をまるで分かっていません。人間の目で認識できると思い込んでいるので、目で見たものや体験したことは事実で全て現実だと錯覚するのでしょう。

私も橘玲さんの本は好きで、仰る通り、ある意味左翼リベラルは「非常に保守的な人たち」ですが、この点、保守の方がよほど革新的だと思います。山尾志桜里などの左翼は、ご都合主義的に合理性だの論理性だの、否定のための屁理屈を並べているだけで、「何でも計算ずくで理詰めに割り切る」ことが最も出来ない人たちであるのは言うまでもありません。血液型否定論者にも通じる話というのも同感です。

原子力規制委員会の場合は悪意的な確信犯で、菊池誠と同様の「専門家」がその知識と立場を悪用して、原発否定のための屁理屈を付けているだけです。しかし、国民はその真意を知らず、まさか専門家たちが国民を騙すなどとは思ってもいません。これはAB型であっても同様ですが、要するに左翼の構造を知らず、「反核、環境」という美辞麗句の看板に、核アレルギーを持つ国民が騙されてしまっているからです。従って、彼ら専門家のいう数字のトリックに真面目に付き合わされることは、如何に茶番であるかお分かりだと思います。

回りくどくなりましたが、その気質的親和性から知らず知らずの内に左翼になって「誤れるユダヤ的思考の所産」を真理だと勘違いしないよう、ここを見たAB型の方々と全ての方のためにも、目を覚まして貰いたく投稿しているのですが、常識の度を遥かに超えているため、さっぱり訳が分からないなどと言われてしまいます。AB型が全く見破れない理由でもあります。血液型の気質や性格と同じで、イデオロギーや人間の精神という「観念的」なものは言葉で説明しにくいです。

by 欺善者 (2018-09-17 21:16) 

欺善者

村上世彰の「物事を数字に置き換え計算し考える」というのは、とても啓蒙主義的で進歩主義的な発想だと思います。能見氏の著書では、AB型の特徴として「合理性」や「理性」が多用され、自然科学の躾を受けたという能見氏が、流行していた啓蒙主義の影響を強く受けていることを伺わせます。統計などデータを使って物事の存在を科学的に実証しようとすることは唯物的なことでもあります。

このエントリーにもあるように、AB型は「心情的なつながりは弱い」ので、民族、人種、国家のような集団的な繋がりは弱く、軽視、もしくは無視してしまったり、合理的思考から平等を重視し、民族的、人種的、国家的、文化的、宗教的、イデオロギー的な垣根を作るのは愚かなこととして、軽視、否定してしまうことがあるかも知れません。

能見氏の著書によれば、AB型は「理性さえ研ぎ澄ませておけば人間として完成されると考えがち」だと書かれていますが、感情や心に流されることは不合理なことであり、それらを排して理性を重視することが合理的判断である、という意味だと思います。
しかし、理性至上主義的な判断が本当に合理的で正しいのか、分かりやすい説明を「みっちゃん」さんのサイトより貼っておきます。
以下、一部抜粋。


近年、行動経済学と実験心理学は理性的な熟慮がかならずしも合理的な判断を引き起こさないことを示した(認知バイアス)。心理学の機能主義学派は情動をヒトの生存と結びついていると考えていたが、同様に進化心理学は認知バイアスや情動的直観が必ずしも不合理ではなく、特に我々の祖先の時代の環境では合理的な判断に結びついていた可能性を示した。
これは理性と情動・感情が相互作用的または並列的に判断や意思決定に関わっていることを示唆する。これは二重過程理論あるいは二重プロセスモデルと呼ばれている。

進歩史観に多大な影響を与えている唯物史観は、アリストテレスに始まる「ギリシャ論理学」から発展していった西欧の論理である「唯物論」の考え方に由来しています。それは、「いまここにある」という「もの」が「存在する」という考え方、つまり、実際に目の前に「もの」が「存在」しているから、その「もの」を見たり、掴んだり、といったことができる、という考え方です。「もの」が「存在」していることが先にあるところがポイントです。

「唯物論」の考え方では、いま、目の前には「富士山」がある、でも、それは目を閉じると見えなくなる、ということだけを説明することができます。
これは、「理性だけ」、「理性のみ」の考え方で、ものごとの「半面のみ」に囚われている考え方になります。

そこで、もう一度、目を開いてみますと、目の前に風景が広がっています。そこには、様々な色が見えています。これは、「感覚」です。その「感覚」は人それぞれで違っています。そして、その見えている風景を、どのように受け止めるのかも、人それぞれで違っています。

その理由を「唯物論」の考え方、「理性だけ」、「理性のみ」の考え方では、どうしても説明することが出来ません。何故なら、「心」や「情緒」といった問題について、説明することができないからです。
http://oyakochoco.jp/blog-entry-2386.html


そして、「保守主義の父」として知られるエドマンド・バークは、フランス革命は、人間の理性を絶対視し、既存の教会制度を否定し「理性の神」を崇拝した結果、フル稼働するギロチンに個人の生命を奪われ、革命権力の恣意に財産を奪われ、血塗られた無法地帯の阿鼻叫喚となった、と述べており、もしかしたら共産主義は、理性至上主義的なAB型の平等思考が結び付いたのではないかと思うほどです。

オバマ政権の時、LGBTに「自分が信じる性に従って、男女どちらのトイレを使ってもよい」という、狂ったような大統領令にサインしましたが、LGBTの人権を守るために闘っているという稲田朋美と同じで、もはや正常な判断力を喪失していることに全く気付いておらず、人権平等やLGBTを欺瞞だと見抜くことが出来ない盲目です。

市川房枝のようなフェミニストは、AB型の合理性の怒りによる正義感から、男性社会の決め事の中で如何に女性の人権がないがしろにされて来たか、男女平等を訴えてきましたが、それが「男女共同参画社会」や「男女雇用機会均等法」などに繋がり、女性の活躍・社会進出が加速しました。
しかし、その結果は、男性の雇用が奪われて、女性は仕事に追われたり婚期を逃したりして子供を産まなくなり、家庭との両立が困難になったりして男女の摩擦を生じさせ、離婚が激増して家族が崩壊しています。LGBTが増えるということも子供を産まなくなることを意味しています。

また、柳井正などがグローバル化による外国人との多文化共生を推進することは、民族的、人種的、宗教的、文化的な摩擦と軋轢を生じさせ、いずれの場合も種族の保存という自然の生態系を破壊するパラドックスであり、「誤れるユダヤ的思考の所産」を真理だと勘違いしています。
これらのAB型は、そのバランス感覚から物事を合理性・理性で切り捨て、何でも平等が正義だとでも謂わんばかりですが、それがどのような結果を引き起こすのかは考えません。物事の一面だけを捉えて現実の世に批判的なのでしょうが、とても押し付けがましい正義感だと思います。

自ら、「人類皆兄弟・世界は一つ」という、平等思想(グローバリズム=共産主義)の広告塔となっていますが、左翼の山尾志桜里らと全く同じことをやっているということには気付かないでしょう。実は、菊池誠や心理学者・精神医学者ら学問世界の左翼とも同類だったのです。

なぜAB型が、人権、平等、平和といった中身のない空論理念に惹かれやすく正義だと錯覚するのか、なぜ、心より理性を重視するというAB型が、唯物的で左翼的だと思うのか、このような理由によります。
世の中が狂っているのは、自由と平等な権利という価値観、つまり、「誤れるユダヤ的思考の所産」に狂わされているからで、そのような中でAB型だけが正常さを保ち逃れることは出来ません。

by 欺善者 (2018-09-21 21:12) 

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