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「疑似科学とされるものの科学性評定サイト」の科学性評定《続々々》【更新】 [Gijika.com]

前回の続きです。
「疑似科学とされるものの科学性評定サイト」の血液型性格診断にほぼ毎日投稿をしてきたのですが、投稿から24時間たっても掲載されないのは初めです。
どのような基準で掲載されないのでしょうか?
正面切っての批判はダメなんですかね?
次が、「掲載拒否」(?)となった3/17 21:10(投稿No.170)の内容です。

掲載ありがとうございます。ただ、現在まで何の反応もないということは、当分は単純ミスも訂正しない方針ということですか?
では、どんどん行きます。

> 能見正比古氏の著書(研究論文ではない)や「ABOの会」にて、血液型性格診断に関する肯定的な主張がこれまでに何度も発表されている。しかし、データの透明性という観点において、高評価を与えられる水準に達しているとは言えない。
1. 繰り返しになりますが、文章の趣旨からすると「ABOの会」ではなく「ABOセンター」でしょうか。そのうち訂正とのことなのでお待ちしています。
2. 能見正比古氏の論文が「研究論文でない」から透明性が低く高評価を与えられないのですか? 心理学の論文を読むと、その調査の対象のほとんどが執筆者(=否定派)の講義に出席した学生です。それでも透明性が高く高水準ですか? 繰り返しになりますが、最近の研究では、統計データは能見氏とほぼ同じ結果が得られています。例えば、このサイトの参考文献でも、約3000人×11年で「統計的な有意差が出た」との結論です。
This indicates that blood-typical personality stereotypes actually influenced the personalities... このことは、血液型ステレオタイプは現実に個人の性格に影響していることを示している... 「Blood-typical personality stereotypes and self-fulfilling prophecy」Sakamoto, A., Yamazaki, K.(2004)
それなら、差が出ていない昔の心理学の研究は“低水準”ですか?

> 能見氏の著書である「血液型人間学」や「ABOの会」の主張において、一万人規模のアンケート調査にて統計的有意差が出たとの報告もあるが…
上に書いたとおり、心理学の研究でも能見正比古氏どおりの有意差が出ています。

> 「バーナム効果」「予言の自己成就」「確証バイアス」「F・B・I効果(フリーサイズ・ラベリング・インプリティング効果)」といった、心理学で広く知られた効果が排除された実験デザインがとられていないので、透明性は低いといえる。
それは心理学でも同じことです。では、心理学の論文も「透明性は低い」のでしょうか?

> 血液型と疾患といったことにまで対象範囲を広げると…透明性の高い研究も存在する。…前述の報告はあくまで疫学的見地によるものであり、因果的関係はまだ確立されてはない。
意味が理解できません。疫学的に血液型と病気の「因果関係」が全て証明されたとは信じられません。では、「因果関係」が不明な疫学研究は“非科学的”なのでしょうか? また、心理学で定義する「性格」はあくまで統計的なものなので、因果関係を証明できません。因果関係が証明できない原因は(能見氏とは関係なく)心理学の責任になります。

> 人間の社会生活におけるレベルで判別可能であるとする言説において、
これも元の文章を引用していただけないでしょうか? 能見正比古氏の著書でそんな文章を読んだ記憶がないので…。

> 透明度の高い研究ではその効果はことごとく否定されていると判断してよいだろう。
上に示した約3000人×11年は、日本人をランダムサンプリングしたものですから「透明度の高い研究」なはずです。もっとも、最近の研究では、「透明度」に関係なく能見氏とほぼ同じ結果が得られています。以前に紹介したもの一部を再掲します。
1. 自分の性格の評価に血液型ステレオタイプが与える影響 工藤 恵理子(東京女子大学)日本心理学会大会発表論文集 2009 →全体として血液型ステレオタイプに合致するような自己評価が認められた
2. 血液型性格項目の自己認知に及ぼすTV番組視聴の影響 山岡 重行(聖徳大学人文学部)日本社会心理学会大会発表論文集 2006 →高受容群では11項目で血液型の主効果が認められ、低受容群でも2項目で血液型の主効果が認められた。
3. 潜在的な血液型ステレオタイプ信念と自己情報処理 久保田健市(名古屋市立大学)日本心理学会大会発表論文集 2007 →特性語の種類の主効果(F(1,32)=9.80, p<.01)と特性語の種類×参加者の血液型の交互作用(F(3,32)=3.22, p<.05)が有意だった…定義づけ課題の結果についても,同様の2要因分散分析を行ったところ,特性語×参加者の血液型の交互作用が有意だった.
今日はとりあえずこのへんで。失礼しました。

次は、3/18 22:34(投稿No.172)の内容です。

前回の投稿から24時間以上経過しても何の反応もないのは初めてです。ひょっとして「掲載拒否」ということでしょうか?
なんとも言えないので、次の投稿です。

> 血液型性格診断におけるデータの再現性で特筆すべきことは、この主張が「どの程度の診断が行えるか」を明言してないことである。
例えば、能見正比古氏の著書から「どの程度の診断が行えるか」を明言した文章を引用してください。例えば、彼の『血液型人間学』にはこうあります。
私は、よく、こう申し上げる。/「血液型でわかるのは性格のうちの4分の1ですよ」/人間の性格は、先天的気質と後天的な形成の両者から成る。血液型が関連するのは、先天的な気質の部分だから、まず、半分。その気質は、野菜の個性と、血液型による共通性が、また、半々と見て、合計4分の1という大まかな計算である。
なお、このサイトの冒頭には
> 血液型性格診断言説では、上記の血液型[ABO式血液型]の4区分を元に、客観的に判別可能なまでにヒトの性格や相性まで見分けることができると主張している。
とありますが…。ところで、この“矛盾”は私の最初の投稿で指摘しましたが、現在もなぜか未回答のままです。

> そのため、「A型の人は神経質だ」といった主張に対して、「A型なのに神経質でない」という事例が得られたときにも「100%正確に診断できるわけではない」と言い訳ができてしまう。このように反証データを得ても、再現性を否定できる構図にないので、評価は低い。
これも、能見正比古氏の著書から「100%正確に診断できる」と明言した文章を引用してください。彼はこう言っています。
[氏の血液型と性格の研究が進展しなかった]最大の原因は、従来の常識的性格観に、 とらわれすぎたせいである。人々はすぐ性格に類型をつくりたがる。私も、O型はこれこれのタイプ……という決め方をしようと焦っていた。そんな類型をつくり得るほど、性格の本質は、とらえられていないのである。(能見正比古 O型は人間は権力志向型なんだって-血液型性格学 別冊宝島6 性格の本-もうひとりの自分に出会うためのマニュアル』1977.8)
神経質という言葉は、古代ギリシャの時代から使い古されてきた言葉である。これこそ絶対、性格用語の本命のように思われている。しかし、改めて吟味して見ると、これまた性格を示す言葉としては、使いものにならないことがわかる。/つまり、ある状況の下には神経質だとか、ある方面には神経質であるとか、ないとかは言うことができる。だが、全方向に神経質な人は、まず、絶対といっていいほどいない。ある人は着るものに神経質で、別の人は食事に神経質だろう。その違いが、性格を語るのに重要なのである。/最近聞いたO型のある高級官僚氏は、趣味の音楽鑑賞はうるさく、神経質なくらいと言われていた。その同じ人が、湯たんぽのお湯を平気で煮炊きに使うという。神経質なんてそんなものである。(能見正比古 『新・血液型人間学』 1980)
O型は身体や健康について神経質。病的な潔癖症や高所恐怖症もある。社会の中での他人の目、好意や悪意にも神経質となる。/A型は周囲の動きや反応、それに対する自分の姿勢に神経質。物事のケジメ、善悪の評価などに潔癖。未来への悲観主義や、仕事などの完全主義傾向も一種の神経質だ。/B型は自分の気分調整に神経質。行動を制約された状態ではイライラ。過ぎたことにクヨクヨ。事実関係の正誤にもうるさい。/AB型は、人間関係で神経質となりがち。対人恐怖症も一部にいる。自分の社会的役割りや仕事面の蝿張り保持に神経過敏。経済生活の基盤がガタつくと、度を失い気味。/以上[神経質]の例でも判るように、現在、日常で性格を指す言葉として使われているもので厳密には、性格を明示するに足るものは、ほとんどない。(前掲書より)
本当に能見正比古氏の著書を読んだのですか?

> さらに、血液型と疾患といった前項にて言及した研究にまで評定範囲を広げたとしても、それらもまだまだデータ不足であり現在のところ再現性が高いと評価できるものではない。
これには、このサイトの「データの客観性」で真逆のことを言っています。
> 近年、疫学的にピロリ菌(慢性胃炎など胃疾患の危険因子)保菌者にA型が多いことが指摘されている。
どちらが本当なのでしょうか?

今日はとりあえずこのへんで。失礼しました。

【3.19追記】

次は、3/19 23:06(投稿No.173)の内容です。

「掲載拒否」の可能性が高いようですが、とりあえず予定通り進めます。次は「データの客観性」コーナーの記述です。

> 血液型性格診断の中心的言説であるABO式血液型と特定の性格傾向性の研究が客観的な形で肯定されているとはいえない。
これもよくわかりません。というのは、冒頭に
> 血液型性格診断言説では、…客観的に判別可能なまでにヒトの性格や相性まで見分けることができると主張している。
とあるからです。統計データで差があることは検証済みですから「客観的な形で肯定されている」ことは確かです。もちろん、差はどの程度なのか、という問題は残りますが。

> 肯定派の提示する研究報告は、信奉者による主観的な感想、統計調査における標本抽出の偏り、研究対象の未特定化
これもよくわかりません。というのは、否定派のデータ(特に大学)のほとんどは、自分の授業に出席した学生が対象だからです。ですので、上の問題点はほとんどすべての「否定派」にもあてはまることになります。

> 「自分はA型だから神経質だ」という性格の自己成就などの可能性が指摘できる。
そうだとすると、日本人の7割は関係があると思っているので“自己成就”しているはずですから、どのデータでも差が出るはずですが…。

> 近年、疫学的にピロリ菌(慢性胃炎など胃疾患の危険因子)保菌者にA型が多い
それは初耳ですが、A型に多いという根拠は何でしょうか? 私はO型に多いと記憶していますが…。

> 血液型性格診断によるとA型の典型的な特性は「神経質」だということが主張されており、その根拠として胃痛の多さなどがデータとして挙げられている。
これも初耳ですが、A型に胃痛が多いというデータの根拠は何でしょうか?

> A型の人が「神経質」であるが故に胃痛になりやすいのか、それともA型にはピロリ菌保菌者が多くそれによって胃痛が引き起こされる
そもそも、そんなデータが存在するのでしょうか?

> 今の科学研究では性格を扱う心理学分野と、血液に関して主要に扱う医学・生理学分野は分かれており、連携させた研究方法は未熟である。
こんなことを書いて、否定派の心理学者から批判されないのかと、余計な心配をしてしまいます。というか、「未熟」なら否定派の結論も正しいとは言えない(=疑似科学)ので、そもそもこのサイト自体が成り立つのでしょうか?

> 今後の疫学的研究次第では血液型がヒトの性格や気質にまで客観的なデータとして示される可能性もなくはないことを追記しておく。
「客観的なデータ」は性格検査のデータではないのですか? 疫学でどうやってヒトの性格の「客観的なデータ」を測定するのでしょうか?

とりあえず今日はこの程度にしておきます。

【3.21追記】

次は、3/21 23:39(投稿No.175)の内容です。

特に反応がないようですが、最後まで予定通り進めます。よろしくお願いします。
次は「理論の論理性」コーナーの記述です。

> 果たしてこの区分が如何に人間の性格として反映されているのか、という理論への疑問に対する合理的な説明は今のところない。
いいえ、1)分野ごとの統計データ 2)アンケート調査 3)観察結果の分析があります。それは能見正比古氏の著書を読めばわかるはずですが…。

> 心理学側から特に強く指摘されている「バーナム効果」や「自己成就」の有無については、肯定派ですら暗に認めているかのような発言もみられ…
繰り返しますが「バーナム効果」は性格検査でも存在しますので、仮に存在するとしても否定の根拠にはなりません。また「自己成就」は金澤正由樹氏の著書『統計でわかる血液型人間学入門』で否定されていますし、直接的に存在を検証した研究は(私が知る限り)ないので、あるというなら出典をお願いします。

> 科学的理論構築すら妥当に行われてはいなかった。
統計的な検証は行われています。それは、過去の投稿に何回も書いたとおりです。

> 血液型と疾患や体質にまで話を広げても、今のところ論理性を高く評価できる要素はない。
性格のメカニズムが科学的に解明されていない以上、「論理性」を考えても無意味だと思います。

> 特定の病気に対する疾患率の違いや耐性についての研究は、現在までのところ疫学的な指摘でしか語られておらず、因子の解明や理論構築までは程遠いのが実情だ。
ピロリ菌や血液型ヨーグルトの論文をお読みですか? 読んだとするなら、こう断定できる理由は何でしょうか?

> ABO式血液型で性格診断を行うということは、つまりは人間を4種類に分類してしまうということなのだが、それに対する論理的な合理性を見出すことができないのが現状である。
菊池聡氏[信州大学教授(心理学)]不可思議現象心理学9 血液型信仰のナゾ-後編 月刊『百科』1998.3 pp28-29
ただ、最近は血液型性格判断を撲滅しようという意識ばかりが先走って、適切でない批判をする人も散見される。よく聞くのは「多様な人の性格が四つになんか分けられるはずがない」という批判である。しかし「何らかの基準によって四つに分ける発想」自体には本質的に問題はないのである。もちろん境界線上であいまいに分類される欠点はあるが、この発想自体は心理学でも類型論という考え方で受け入れられている。…血液型性格学への批判は確かに重要だが不適切な批判で満足しているとすれば、それは非論理性という点では相手と同じ穴のムジナになりかねないことに注意しなければなるまい。

とりあえず今日はこの程度にしておきます。失礼しました。

【3.29追記】

3/28の午前中に全て掲載されました。ただし、回答はありません。
春休みだからでしょうか?
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