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縄文人は初期から活発に交流していた [ゲノム解析で古代史]

縄文時代のミトコンドリア・ハプログループの大規模な研究です。

結論として、「少なくとも母系については他集団との活発な交流があった」とのことです。

これの解釈ですが、近親婚だと遺伝子が残らない可能性が高くなるので(淘汰圧)、その意味では妥当な結論だと思います。

Fuzuki Mizuno, Yasuhiro Taniguchi, Osamu Kondo, Michiko Hayashi, Kunihiko Kurosaki & Shintaroh Ueda (2023) Diversity in matrilineages among the Jomon individuals of Japan, Annals of Human Biology, 50:1, 324-331, DOI: 10.1080/03014460.2023.2224060

iahb_a_2224060_f0004_b.jpg

結論部分の仮訳です。

1. ハプログループM7aは日本列島全域に広く分布している。

2. ハプログループN9bは九州以南を除く日本列島全域に広く分布する。

3. ハプログループG1bとD4hは北海道にのみ分布する。

4. 地域差は認められるが、時代差は認められない(現時点)。

ハプログループM7aとN9bは、西日本を除く日本列島全域で同じ場所に共存している。

我々の知る限り、縄文時代前期に属する同一遺跡の複数の個体の全長ミトゲノム配列を決定した研究は本研究が初めてである。その結果、同じハプログループを持つ個体間であっても、全長レベルでの塩基配列は非常に多様であることが観察された。さらに、集団内の遺伝的多様性は縄文時代初期においても決して低くはなく、少なくとも母系については他集団との活発な遺伝的相互作用が示唆された。
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農業の歴史と文化のアゴラ 稲作伝来説の再考 [ゲノム解析で古代史]

自分のための備忘録です。
稲作伝来についての資料となります。

農業の歴史と文化のアゴラ
稲作伝来説の再考

古代中国の中原や、朝鮮半島の風土の下では農業は畠・畑作が主流になる。そこに、農法の段階に進んでいた「中国型」の稲作が伝えられても、 畠作や焼畑という農事や農術を取り込みながら狩猟や採集に比重を置いていた人々には、格差・相違が大きすぎて、とても受容することはできない。
 また朝鮮半島では前稿で述べた水田作を行うための必需農具である「畦塗り具」の検出が、わが国の弥生時代中期に相当する新昌洞遺跡から出土した 卓球のラケット状の至って素朴なものが初出となる。菜畑遺跡では「諸手鍬」と効率的だが、新昌洞遺跡の出土品はそれよりはるかに後進性を示す。 朝鮮半島での木製農具の検出は畠・畑作用の物が多く、水田遺構も「中国型」には不向きな小区画水田で、稲作での先進性はみられない。

とのことで、確かに「中国型」の稲作を弥生時代の日本で「そのまま」取り入れることは不可能だったでしょう。菜畑遺跡や吉野ヶ里遺跡は、当時は海の近くですし…。

だから、渡来人が当時最新の稲作技術を持ってきて来ても、「宝の持ち腐れ」だったんでしょう。ただし、大陸系磨製石器は大いに使われたようです。

そもそも稲作の朝鮮半島伝来説は、考古学調査によって早くに南京遺跡や松菊里遺跡でコメを検出し、わが国での朝鮮半島系遺物とみられる大量のモノの検出がありながら 水田遺構の検出が遅かったところから推測として唱えられ、それがモノと農業技術の相違を認識することもなく、繰り返し述べられてきたことによって 定説となってしまったようである。また定説には「灌漑水田稲作」と、近現代に行われる「中国型」稲作法が唯一の方法であるとの認識も含まれている。

となると、使えるものは使い、そのまま使えないものは、日本の実情に合わせるために試行錯誤を繰り返したということになります。確かに、こう考えた方が納得できます。

農業は工業製品じゃないので、現地の気候風土に合わせないとうまくいきませんから…。

そして、北部九州のパイロットプラントで成功した技術を、朝鮮半島南部も含めて徐々に各地に展開したのでしょうね。

こう考えると、水田稲作は、日本の方が朝鮮半島より早いという考古学的な事実とうまく整合します。
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草書体で解く邪馬台国への道程 [ゲノム解析で古代史]

自分のための備忘録です。

草書体で解く邪馬台国への道程―書道家が読む魏志倭人伝

草書体で解く邪馬台国への道程―書道家が読む魏志倭人伝

  • 作者: 井上よしふみ
  • 出版社/メーカー: 梓書院
  • 発売日: 2019/09/01
  • メディア: 単行本

確かに、草書体だと「壹」と「臺」はそっくりですね。

邪馬台国.png
出所 草書体で書かれていた魏志倭人伝 1:19:47

《参考》

「邪馬台国」はなかった (朝日文庫)

「邪馬台国」はなかった (朝日文庫)

  • 作者: 古田 武彦
  • 出版社/メーカー: 朝日新聞
  • 発売日: 2023/10/15
  • メディア: 文庫

※魏志倭人伝の記述は邪馬「壹」国で、邪馬「臺」国ではない。

邪馬台国は山門郡だと思っていたのですが、朝倉市なのかな?

(ここより引用)

古代日本に存在したという「邪馬台国」の所在地については諸説紛々だが、次のYouTubeの説が面白い。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
https://www.youtube.com/watch?v=U1D0EURZBpY
草書体で解く邪馬台国の謎 (井上悦文 久留米地名研究会)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
〇邪馬台国の所在地は、中国の晋(西晋)の時代に陳寿が著した「三国志」に記されている。
〇陳寿は三国志を木簡に記したが、当初は正史と認められなかったため、王宮ではなく陳寿の自宅に保管されていた。
〇陳寿の死後、三国志が非常に優れており国政に役立つと評価されるようになったことから、晋の役人が陳寿の自宅に赴き、筆写した。
〇三国志は膨大な文字量であるところ、陳寿は4年間で書き上げたとされており、もし陳寿が、当時用いられていた書体のうち篆書体や隷書体で書いたとすれば時間が不足することからして、陳寿は草書体で書いたと推測される。
〇草書体は崩し書体であるため、他の類似文字と判別することが難しいことがままあり、筆写に当たり誤写しがちである。
〇晋の役人が筆写した際、陳寿はすでに死去していたため、紛らわしい文字がどの文字かを本人に確認することができなかった。
〇今日われわれが目にする三国志は、晋の役人が筆写した三国志をそのまま複写したわけではなく、草書体を楷書体に置きなおした版本である。その楷書体の文字に対応すると考えられる草書体の文字をリストアップし、それらによって三国志を書き直してみると、九州にある実際の地名にマッチする文字が次々に見つかった。
〇例えば、版本の三国志は「対馬国」を「対海国」と表記していることに異論がないが、草書体の「海」字は「馬」字に酷似している。また「一支国」を「一大国」と表記していることに異論がないが、草書体の「大」字は「支」字に酷似している。また「投馬国」の「投」字の草書体は「殺」字の草書体に酷似しており、したがって「投馬国=殺馬国=薩摩国」と推測される。また「山壹国」の「壹」字の草書体は「䑓」字の草書体に酷似しており、したがって「山壹国(ヤマイチコク)=山䑓国(ヤマダコク)」と推測される。(以下略)

(引用ここまで) 引用先 https://blogs.yahoo.co.jp/miranda_bacy/13825946.html?__ysp=6I2J5pu45L2T44Gu6Kqk5YaZ(リンク切れ)

「草書体で解く邪馬台国の謎」の紹介
http://tmmanbou.blog.fc2.com/blog-entry-59.html


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9/27 朝日新聞「弥生人」とは何者か 急速に進む核ゲノム分析、見直し迫られる通説 [ゲノム解析で古代史]

9/27付けの朝日新聞の記事です。

「弥生人」とは何者か 急速に進む核ゲノム分析、見直し迫られる通説

asahi.PNG

 「弥生人」とは何者か。縄文時代から日本列島に住む在来の人々と、海外から先進技術を持ち込んだ渡来人が徐々に混血しながら弥生文化を担う――。そんな人類学上の通説だった弥生人観が、近年急速に進む核ゲノムの分析で様変わりしようとしている。
(中略)
 ところが、2010年代に登場した核ゲノム分析でこれが揺らぎ始めた。ゲノムとはすべての遺伝情報のこと。細胞の核が持つ情報量は、それまで分析対象の主流だったミトコンドリアDNAよりもはるかに多い。不可能と思われてきた古人骨の核の遺伝子分析を最新機器が可能にした。


とありますが、縄文人が朝鮮半島に進出したとすれば、極めて単純明快で、余計なことを考える必要は何もありません。

「専門家」もそろそろ出口戦略を考え始めたんですかね?

なにしろ、朝鮮半島は8200年前から2万年前ぐらいまでほぼ無人だったのだから、それ以前に「渡来人」が日本列島に来ることはあり得ない。

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記事の内容に新味はありませんが、この話を大手マスコミが取り上げたことは、通説に疑問を抱かせるに十分で、非常に意義があると思います…[手(チョキ)]

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6300年前の朝鮮半島に「縄文人」が住んでいた!?【補足】 [ゲノム解析で古代史]

前回の続きです。

加徳島の獐項遺跡ですが、

fuzan.JPG

実は、昌原市の三東洞遺跡より近くに、金海市(Gimhae)の「大成洞遺跡(古墳)」があることがわかりました。下の図では①となります。

大成洞2.png

元の図は次の通りです。

20220403501942.jpg

なお、この図を見ると、古墳時代の「前方後円墳」ではなく、弥生時代の卑弥呼の墓と同じ「円墳」であることがわかります。

出所 「鉄の王国」伽耶古墳群の世界遺産登録、最後の峠を越えるか
https://japan.hani.co.kr/arti/culture/43041.html

参考(1) Korea Trip Tips

参考(2) Daeseong-dong Tombs Musium

参考(3) 金海・良洞里遺跡で弁韓時代の漆弓と三国時代の短甲などが出土

そして、大成洞遺跡の近くには「良洞里遺跡」があります。

加徳島.png
出所 海の道むなかた館 館長講座「邪馬台国への道」

さて、小沢文雄氏の「邪馬台国連合のすべて」によると、上の図(赤字)に書いたように、良洞里遺跡(2世紀前半)からは北部九州の土器が出土、大成洞遺跡(3世紀中頃)からは近畿地方の土器が出土したとのこと。
邪馬台国連合のすべて データから読み解く

邪馬台国連合のすべて データから読み解く

  • 作者: 小沢 文雄
  • 出版社/メーカー: 梓書院
  • 発売日: 2023/09/29
  • メディア: 単行本
邪馬台国連合のすべて.png ちなみに、「狗邪韓国」は魏志倭人伝に出てくる地名です。その時代の土器は北九州由来ということなのですから、邪馬台国が北部九州にあったことは明らかです。 もちろん、この2つの遺跡から目と鼻の先にある加徳島の獐項遺跡が、大成洞遺跡や良洞里遺跡と関係ないとは思えませんし、以前の記事のように弥生時代の土器も出土しているのです。 つまり、この炭素14法による年代測定の結果である「6300年前」以外の ・DNAと墳墓土器 など、ほぼすべてが「弥生時代」を指しているのです。 科博の研究者がそんなことを知らないとは思えないのですが、極めて不思議なことに何も書いてありません。まったく不可解というしかないのです…[たらーっ(汗)]。 そういえば、核ゲノム解析が可能だったのは、日本では北海道の礼文島・船泊23号の3800年前が最古です。それより南では、DNAの分解が早くなるのか、せいぜい古くても3000年前です。 釜山近くの加徳島なら、日本とあまり条件が変わらないはずで、やはり6300年前のDNAが解析できたというのは、ちょっと無理があるのではないでしょうか? なお、この「邪馬台国への道」のP18には、こうあります。 uma.png これは、弥生時代の造船技術では、対馬海峡経由で牛や馬を運搬可能な大型船を作ることが不可能だったということです。このことは、弥生時代以前には、大量の渡来人が日本に来ることが不可能であったことも意味します。その意味で、「二重構造説=大量の渡来人」は誤っていることになります。


【2023.11.16追記】

魏より前の漢との朝貢時には、沿岸部ではなく平野の茶戸里遺跡(前1世紀頃)が拠点でした。
それが、後漢末や魏の時代になってから沿岸部に移転しました。
それからすると、加徳島の遺跡はやはり紀元後の弥生人なのではないでしょうか…。

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出所 【ゆっくり解説】交易から見た邪馬台国 23:00頃


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「縄文人と弥生人に分断はない」教科書で習った定説覆す日本人のルーツ [ゲノム解析で古代史]

自分のための備忘録です。

世界「民族」全史 ――衝突と融合の人類5000年史

世界「民族」全史 ――衝突と融合の人類5000年史

  • 作者: 宇山 卓栄
  • 出版社/メーカー: 日本実業出版社
  • 発売日: 2023/01/20
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

しばらく前のダイヤモンドオンラインに、宇山卓栄さんのこんな記事がありました。

「縄文人と弥生人に分断はない」教科書で習った定説覆す日本人のルーツ

二重構造説に懐疑的な立場から最新の研究成果を数多く上げている国立科学博物館の篠田謙一副館長によると、「二重構造説では、アイヌ民族と沖縄の人々の近縁性を指摘していますが、両者のハプログループ(共通の染色体を持つ集合のこと)は大きく異なっていることもわかっています」とのこと(2019年)。つまり、遺伝子サンプルの採取の仕方、近似基準の取り方によって、結果が大きく異なるということが示されています。
いずれにしても、一般に流布している「アイヌ民族・琉球人近似説」は極めて怪しいものであることは間違いなく、それを論拠にしている「二重構造説」もまた、信用するに値しない破綻した説といえるでしょう。

でも、篠田謙一さんは「二重構造説」は、少なくとも公式には否定してなかったはずですが…。

ひょっとして、プライベートでは否定してたんでしょうか?

それと、あくまで個人的な印象ですが、二重構造説は東大の埴原和郎さんの説なので、東大系研究者の支持が多いような気がします。

日本人の誕生―人類はるかなる旅 (歴史文化ライブラリー)

日本人の誕生―人類はるかなる旅 (歴史文化ライブラリー)

  • 作者: 埴原 和郎
  • 出版社/メーカー: 吉川弘文館
  • 発売日: 1996/11/01
  • メディア: 単行本

ちなみに、篠田謙一さんは京大です。

もっとも、学閥はあまり関係なさそうな気もするのですが、正直なところわかりません。

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卑弥呼=天照大神の文献学的に決定的な証拠!? [ゲノム解析で古代史]

前回の続きです。

以下は、自分のための備忘録です。

○天照大神のヨミは、「ひみこ」ということになります。

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出所 天照大神はなぜ日本神話の最高神なのか?|小名木善行

つまり、邪馬台国の女王「卑弥呼」とまったく同じなのです。

○邪馬台のヨミは、現地音だと「やまと」です。

○邪馬台国と比定される「山門」には、「大和」と多くの似た地名があります。
しかも、ヤマトから見た位置関係もほぼ一致
→卑弥呼の死後に、邪馬台国は東遷して大和(朝廷)になった。

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出所 九州と近畿の地名が一致?邪馬台国東遷説と神武東征【筑後山門】:第2回

○魏志倭人伝を素直に読めば、邪馬台国は北部九州となります。
当時は距離を10倍にしていたようです。
邪馬台国をめぐる1000年の謎を解く 「邪馬台国の全解決」 中国「正史」がすべてを解いていた (著者 孫栄健) を読む

○炭素14法では、箸墓古墳の実年代は邪馬台国と合いません。
箸墓古墳の実年代:歴博の炭素14年代測定による240~260年は根拠の間違いが明らかに

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国立歴史民俗博物館研究報告 2022 (第237集) 【追記あり】 [ゲノム解析で古代史]

国立歴史民俗博物館研究報告書 2022(第237集)を入手しました。
(一般には販売せず、ミュージアムショップのみの取り扱い)

rekihaku237.JPG

この報告書には、次の論文が収録されています。

藤尾慎一郎・篠田謙一・坂本稔・瀧上舞
考古学データとDNA分析からみた弥生人の成立と展開
(2021年11月26日受付、2022年5月23日審査終了)

実は、この論文には、韓国加徳島獐項遺跡から見つかった人骨のゲノム解析の詳しい結果が書かれているのです。やった!

rekihaku237p69.png

ちなみに、私の以前の2つの記事

6300年前の朝鮮半島に「縄文人」が住んでいた!?【追記あり】
6300年前の朝鮮半島に「縄文人」が住んでいた!?【訂正】

では、肝心の結果が書かれてないので苦労しました[もうやだ~(悲しい顔)]
自分のための備忘録として、ポイントだけ書き留めておくことにします。

篠田謙一氏らは、4体の人骨の調査を行い、うち2号と8号のDNAの解析に成功しました。結果は次のとおりです。

○ミトコンドリアハプログループ D4系統
→それぞれD4b1とD4aの祖型(東アジア集団で普遍的)

○Y染色体ハプログループ 不明(おそらく2体とも女性)

○核ゲノム解析 現代日本人や弥生人とほぼ同じ(以前の2つの記事でも既出)

○年代 約6300年前(出土人骨2体を炭素14法で分析した結果による)
→ただし、韓国の発掘報告書(2014年)に書いてある、人骨に伴った炭を炭素14法で分析した結果とは1700年違う。
(韓国の発掘報告書では8000年前らしいので、8000年-6300年=1700年という意味か?)

○人骨の人類学的調査の結果(山田康弘氏による) 縄文人とは違う
→長頭傾向、直線的ではない眉上隆起、頭部形態、大腿骨に柱状構造が見られない

○墓壙(墓穴) 弥生中期前半の九州北部の甕棺墓に見られるような列状配置

○黒曜石 遺跡からは、佐賀県の黒曜石も発見

○食性分析(瀧上氏) 海洋資源に大きく依存した生活[稲作はあまりない?]
→2号の炭素同位体比が47%台、8号が74%台。弥生時代の甕棺に葬られている炭素同位体比である20%台に比べてかなり重いため、海洋資源に大きく依存した生活[稲作はあまりない]。
(「炭素同位体比」の意味が不明。↓「炭素・窒素同位体比」なのでは?)

C14.JPG
出所 国立歴史民俗博物館研究報告書(第219集)

実データ→放射性炭素で海水大循環を調べる

見れば分かるとおり、炭素14法で分析した年代を無視すれば、人骨、DNA、墓壙は九州北部の弥生人そっくりとなります。
ただ、常識的に考えると、炭素14法で測定した6300年前という値は、どうみても2000年前にはなりそうもありません…。[最大限繰り下げても1000年程度]

炭素14の半減期は5730年です。いくら海産物を食べていたとしても、炭素14の摂取が半分になるとは考えにくいので。

参考1→箸墓古墳の実年代:歴博の炭素14年代測定による240~260年は根拠の間違いが明らかに

参考2→昌原三東洞甕棺墓(日本では弥生時代)

さて、この加徳島獐項遺跡に一番近い甕棺の遺跡は、「昌原三東洞甕棺墓」です。こちらは、原三国時代ということなので、日本では弥生時代となります。
ということなので、炭素14法の「6300年前」という結果がミスという可能性が高いとしか考えられません…。

kamekan.JPG
出所 弥生時代の鉄剣・鉄刀について

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出所 Google Map

閑話休題。

さて、この論文「考古学データとDNA分析からみた弥生人の成立と展開」ですが、はっきり言って論理が破綻しています。

いままでに書いたように、朝鮮半島古代人骨(渡来人)の核ゲノム解析の結果は、そのほとんどが「弥生人そっくり」です。
渡来人が縄文人と混血すると、主成分分析の結果はその中間にならないとおかしい。

しかし、実データによれば、渡来人と我々現代日本人(弥生人)のDNAはほぼ同じです。
これを論理的に考えると、渡来人が縄文人を駆逐して、現代日本人や弥生人になったはずですから、「二重構造説」は完全に否定されないとおかしい。

「二重構造説」への疑問

ところが、現実には逆に、現代日本人のY染色体やミトコンドリアのハプログループは、その多くが縄文人由来とされます。

結局、渡来人を前提として考えると、どうやっても実データと矛盾してしまうのです。

まったく逆に、縄文・弥生人が対馬海峡を渡って朝鮮半島に移住したとすると、ほとんどすべてが事実と整合的です。

○朝鮮半島南部から出土する古代人のDNAは、縄文・弥生人とほぼ同じ。
○朝鮮半島南部の前方後円墳は、日本より時期的に後
○朝鮮半島南部の水田稲作の開始時期は、日本より少し遅れる

などなど…。

余談ですが、Wikipediaの朝鮮民族によると、韓国人(朝鮮民族)のHLAを系統発生的に分析した結果、日本人と山東省の漢民族に最も密接な関連があったとのこと。
Anthropological analysis of Koreans using HLA class II diversity among East Asians

土井ヶ浜遺跡(出土した人(骨)は山東省から渡来)でわかるとおり、このルートは縄文時代から使われていたはずです。

HLAは感染症と密接に関係しているので、山東省から(水田稲作で)結核などの感染症が持ち込まれたことと関連しているのではないでしょうか…。

それから、朝鮮半島古代人のDNAですが、Y染色体ではO2が最大グループなので、箕子朝鮮、楽浪郡、帯方郡から中原の漢人のハプログループO2が流入したとすると、ほぼすべてのデータに辻褄が合ってきます。
なお、既出の記事のように、ミトコンドリアのハプログループは、中国大陸より日本に似ているので、男性は主に中国大陸から、女性は縄文・弥生人が多いと考えられます。
ただし、白村江の敗戦後、縄文系のY染色体ハプログループ(D1a2)は排除されたはずです。

しかし、なぜ専門家は「二重構造説」や「渡来人」が実データをまったく説明できないのに、これだけこだわるのでしょうか?

さっぱりわかりません。

【追記】

歴博のメンバーが、↑のような単純なことを理解できないはずはありません。
半島南部古代人のゲノム解析の結果は、ほとんどすべて一致しています。
考えるまでもなく、「二重構造説」は(少なくとも理論的には)完全に破綻していることは明らかです。

この論文は2021年11月26日受付だから、既に2年近くが経過していますが、その後の状況に変化は見られません。「血液型と性格」と同じで、もはやのメンツの問題なのかな?

ちなみに、血液型については、心理学者は個人的に信じている人も多いようですが、商売上「公式」には信じていないふりをしないといけません(苦笑)。少なくとも現役のときには…。

長谷川さんのように、もはや現役じゃなければ本音を言ってもいいんでしょうかね。

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朝鮮半島南部には弥生人がいた【追記あり】 [ゲノム解析で古代史]

去年の論文ですが、百済人(韓国・群山)のゲノム解析の結果です。

Don-Nyeong Lee, Chae Lin Jeon, Jiwon Kang, Marta Burri, Johannes Krause, Eun Jin Woo, Choongwon Jeong
Genomic detection of a secondary family burial in a single jar coffin in early Medieval Korea
Amerian Journal of Biological Anthropology
Volume179, Issue4, December 2022, Pages 585-597
https://doi.org/10.1002/ajpa.24650

見れば分かるとおり、核ゲノム解析の結果は、現代日本人(=弥生人)とほぼ同じです。しかも、現代韓国人(ウルサン)より似ているのです。

ajpa24650-fig-0003-m.jpg

なお、この論文には、Y染色体とミトコンドリアのハプログループも掲載されています。

BMC1.JPG

Y染色体のQ1aは3人で、日本には極めて少ない(コンマ以下)のですが、ゼロではありません。日本よりは、韓国や中国東北部に多いようですが、多くても数パーセントです。

O1b2a2a1a (O-CTS7620)は1人で、現代の日本に多いグループ(約30%)で、韓国では日本よりやや少なくなっています(約30%)。

ミトコンドリアはD4とB5なので、基本的に日本にも存在するグループです。

よって、Y染色体とミトコンドリアだけで判断するとちょっと迷います。

ただ、最初に書いたように、核ゲノム解析の結果が決定的なので、このグループはほぼ間違いなく「弥生人」でしょうね。

これで、朝鮮半島南部で発見された古代人骨は、ほぼすべてが弥生人ということになります。

そういえば、最近は渡来人が水田稲作を伝えたという話は、ネットではあまり聞かなくなった気がします…。こんな感じで、ゲノム解析の結果が続々発表されているからかな?

なお、現代韓国人は紅山文化と弥生人・縄文人の混血という話もありましたが、これはY染色体で否定されます。というのは、紅山文化の遺跡から発見された人骨は、多くはハプログループNだからです。

Y Chromosome analysis of prehistoric human populations in the West Liao River Valley, Northeast China.
Cui, Y., Li, H., Ning, C. et al.
BMC Evol Biol 13, 216 (2013).
https://doi.org/10.1186/1471-2148-13-216

ハプログループNは、古代の半島人ではあまり見かけませんし、現代韓国人でもせいぜい数%ですから、少なくともメインではありません。

Y染色体ハプログループの分布 (東アジア)

現代韓国人で多いのは、元々は中国の中原(黄河中流の長安・洛陽あたり)に多かったO2です。たぶん、ここの人々が中国全土、そして朝鮮半島にまで広まった可能性が高い。

→日本語の意外な歴史
パズルの最後の1ピースを探し求めて、注目される山東省のDNAのデータ

韓国高霊池山洞44号墳出土人骨のミトコンドリアDNA分析

→ Y-chromosome-based genetic pattern in East Asia affected by Neolithic transition
Shao-Qing Wen, Xin-Zhu Tong, Hui Li
https://doi.org/10.1016/j.quaint.2016.03.027

以上のことから、現代韓国人は、弥生人(縄文人)と中国人の混血であるという結論になります。

細かいことを言うと、女性由来のミトコンドリアは韓国は日本とさほど変わらず、男性由来のY染色体が多少違うということになります。

一方、中国本土に対してはこの逆で、女性由来のミトコンドリアは結構違いますが、男性由来のY染色体はそこまで変わらないということになります。

とここまで書いたら、時間になってしまいました。
卑弥呼=天照大神の文献学的に決定的な証拠?を見つけたはずなのですが、これは次回に。

【2023.10.4追記】

韓国の土壌は基本的に花崗岩が風化したものなので、日本と同じ酸性土壌です。
骨はアルカリ性のカルシウムからできているため、化学反応により短期間で溶けてなくなってしまいます。
だから、縄文人などの古代日本列島人の骨では、ゲノム解析が極めて困難なのです。

そんなことで、日本最古のゲノム解析の結果は、核DNAでは6300年前ものはなかったのではないかと思います(ミトコンドリアなら古いのもあります)。

また、炭素14法はコンタミネーション(汚染)に弱いので、地下水の浸透などで誤った結果が出てしまいます。地下水は何千何万年前のものが多く、炭素が含まれている場合は測定すると、見かけ上年代が古く出るからです(実例もあります)。

現場の情報がないのでなんと言えませんが、6300年前という結果はコンタミネーションによる可能性もあるのでは?

【2023.10.5追記】

韓国には、Y染色体のハプログループD(日本独自)が極端に少ないのですが、たぶん日本が白村江で負けたときに一掃されたのだと思います。

このことは、朝鮮半島古代人Yの染色体では、白村江以前はO1b2は今よりもずっと少なかったことを意味します。つまり、当時の朝鮮半島では、当時の日本よりO1b2はずっと少なかったはず。やはり、O1b2は日本列島が発祥の地である可能性が高い。

対して、ミトコンドリアのハプログループは日本とあまり変わらないので、白村江敗戦後でも、女性は現地で生き延びたということを意味します。


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アイヌのミトコンドリア・ハプログループ [ゲノム解析で古代史]

自分のための備忘録です。

縄文人に多いY染色体のハプログループDは、本土の日本人よりアイヌや沖縄に多いのです。
だから、アイヌは現代日本人より縄文人に近いという話もしばしば聞きます。

しかし…アイヌに多いとされる、ミトコンドリアのハプログループYは本土や沖縄の日本人にはほとんど見られません。

EuflrDlVoAAalTd.jpg
出所 https://twitter.com/studying_Ainu/status/1362309943664156674

これは、学術研究でも確かめられています。

形態と遺伝子から解明する近世アイヌ集団の起源と成立史
研究代表者 篠田 謙一
近世アイヌ人骨122体を対象としてDNAを抽出し、ミトコンドリアDNAの解析を行った。最終的に100体からDNA情報を取得し、アイヌ集団の成立の歴史の解明を試みた。解析の結果は、北海道のアイヌ集団は在来の縄文人の集団にオホーツク文化人を経由したシベリア集団の遺伝子が流入して構成されたというシナリオを支持した。また同時に行った頭蓋形態小変異の研究でも、アイヌは北海道の祖先集団に由来するものの、オホーツク人との間の遺伝的な交流を持っていた可能性が示された。
出所 https://kaken.nii.ac.jp/ja/grant/KAKENHI-PROJECT-22370088/

また、このアイヌに多いとされるミトコンドリアのハプログループYは、縄文人にも見られません。

なお、血液型から見ても、アイヌはO型が多い点でオホーツク人と共通しています。

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