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6300年前の朝鮮半島に「縄文人」が住んでいた!?【追記あり】 [ゲノム解析で古代史]

前回の続きです。

ヤマト王権(以下は、当時の感じが出ないので「大和朝廷」とします)の成立と、新羅、百済、そして任那日本について、ある程度の整理はできたのですが、まだモヤモヤ感が残っていました。

そこで、未練がましく朝鮮半島の三国について調べていたところ、思わず次の記事に膝を打ちました。

楽しくわかりやすい!?歴史ブログ
空白の4世紀の間で日本で何が起こったのか?

まさにこれが、私の求めていた解答だったのです!

なぜこんなに簡単なことに気が付かなかったのでしょう。

ポイントだけ簡単に引用しておきましょう。

=====================

3世紀頃のこと。ユーラシア大陸の北部で寒冷化が起こっていたとされています。そのため食糧を求めて民族の動きが活発化(ローマ帝国にまで影響を与えた)、中華帝国も動乱の時代に突入します(日本も卑弥呼亡き後の『倭国大乱』に突入)※。

※だから、日本は海外使節を出す余裕がなく、「空白の4世紀」が生まれたということでしょうかね。

高句麗もその動きに呼応して南下を開始しています。

高句麗は強力な騎馬軍団だったそうです(モンゴルも近いし、何となく馬がたくさんいるのは想像は出来ますね)。

そこでとった行動が

20181129093827.png

百済・伽耶 → 倭国に協力を求める
新羅 → 高句麗に下る   でした。

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ここまで読めば、勘が鋭い人ならすぐ察するでしょう。

高句麗の強力な騎馬軍団が南下を開始したため、朝鮮半島の国々では一大軍拡競争が勃発したはずです。
では、朝鮮半島の国々は具体的にどう防衛すべきなのか。

必勝パターンは決まっていて、早急に強力な中央集権国家を整備し、徴兵制を敷いて多くの兵を集めることです。加えて、ロジスティクスを万全にするため、物資の生産・調達・流通を国家が一手に握り、集中管理することも必要になります。つまり、国家総動員体制の構築です。
(参考情報は、この記事の最後に)

我々日本人は、明治維新から太平洋戦争まで、いやというほど実例を体験しています。

こうして、のんびりとしていた朝鮮半島の状況は一変し、やがて馬韓→百済、弁韓→伽耶、辰韓→新羅という一連の中央集権国家群に変貌することになります。当然のことながら、この朝鮮半島の大軍拡競争は、一衣帯水の日本にも非常に大きな影響を与えざるを得ません。日本も強力な中央集権国家を目指すことになります。

各国の行動が目に見えるようになるのは、4世紀後半になってからです。
日本でも朝鮮半島でも、新たな中央集権国家の権力を誇示するように、巨大な前方後円墳が続々と建設されます。その究極のシンボルが、巨大な応神天皇陵や仁徳天皇陵(大仙古墳)です。

ninhya01.jpg
出典:堺市博物館

また、この時期には、なぜか日本では縄文時代からの長年の風習だった入れ墨がなくなっています。
私の推測ですが、「臨戦態勢」ということで、当時の大多数の国民の理解を得たのでしょう。
明治維新の富国強兵政策では、武士の象徴だったちょんまげを廃止し、西洋式の靴と軍服に切り替えたのですから、今も昔も同じことをやっているいるわけです。
馬が初めて日本に導入されたのも、最新兵器という意味があったに違いありません。

中央集権化の過程で、日本各地の地方政権は、最終的には大和朝廷に併合されたはずです。大国主命の国譲りの神話は、まさにこのことを象徴しているに違いありません。

おとなしく併合された国ばかりではなく、なかには戦争になったケースもあったでしょう。その象徴が、大国主命の2人の息子、国譲りに同意した事代主、反対した建御名方神なわけです。当時日本一の高さを誇った出雲大社は、この国譲りの交換条件だったということになります。

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出典:出雲大社

こう考えると、古事記や日本書紀は、驚くほど的確に当時の情勢を反映していることになります。
いやぁ、すごいなぁ~。

さて、ここからは本来のゲノム解析の話に戻ります。

これらの一連の過程の中で、日本に協力を求めた百済からは、大量の移民が到着します。中国南部の最新技術や漢字も、このときに呉音と一緒に持ち込まれたのでしょう。これらの移民は、遺伝的には中国北部の影響が強いため、日本人の遺伝子は縄文系から多少変化したはずです。

しかし、日本の援助もむなしく、最終的に白村江の敗戦で百済と任那日本府は滅亡し、朝鮮半島からは日本の勢力は一掃されます。残った男性はほとんど殺害されたらしく、現在の朝鮮半島のY遺伝子には、縄文人の影響(系統1)は見られないのです。

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出典:2019年の東大の研究

閑話休題。

ここで、突然時代は6300年前に遡ります。

2019年に、朝鮮半島南東部の釜山・長項(Jang hang)で、6300年前の人骨のゲノム解析が行われました。結果は、

神澤秀明 韓国加徳島獐遺跡出土人骨のDNA分析
文物 2019年6月 韓国韓国文化財研究院

という報告書に日本語と韓国語で書かれているのですが、なぜか未だに日本では入手不可能です。
私は知らなかったのですが、朝鮮半島に「縄文人」がいたと言うことで、ネットでは結構な騒ぎになっていたとのこと。

詳しい経緯は、次のサイトに詳しく書かれています。

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雑記帳
2020年11月27日
韓国釜山市の6000年前頃の人類のDNA解析

最近ネットで、朝鮮半島には「縄文人」がいた、というような主張を見かけます。確かに、縄文時代の九州と同時代の朝鮮半島との交流が考古学で明らかになっているので(関連記事)、「縄文人」が朝鮮半島に渡ったとしても不思議ではありません。こうした主張那主要な元ネタの一つとして、韓国釜山市の加徳島で発見された6000年前頃の人類のDNA研究があるようです。日本語記事によると、その研究に関わった一人である篠田謙一氏は公開シンポジウムで、この6000年前頃となる加徳島人集団が日本列島に到来したならば、(縄文人と)混血せずに現代(本土)日本人になる、と述べたそうです。

検索してみると、この研究は朝鮮語の学術誌である『文物』第9号に掲載された論文のようですが、ネットでは書誌情報しか見つけられませんでした。そこで、Wikipediaを利用して加徳島の朝鮮語表記を確認し、DNAとあわせて検索してみると、論文は見つかりませんでしたが、この論文内容を紹介した朝鮮語のブログが見つかりました(内容紹介1および内容紹介2※)。このブログ記事から推測すると、本論文は印刷版でしか公表されていないようです。

※現在は閲覧不能ですが、日本人に気が付かれたので削除?

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また、次のサイトにもある程度の内容が書かれています。

=====================

弥生人DNAで明らかになった日本人と半島人の起源
-朝鮮半島に渡った縄文人-


(追加① 2019/11/26)
『韓国で、釜山・加徳島の獐項遺跡の人骨(6,300年前:BC4,300年)の核DNA分析を行った結果、縄文人的と判明した。』
とのホットな(学会内部)情報が伝えられた。(2019/11/24)
この情報が、どんな内容で何時 公表されるかに 関心がある。分子生物学者の発表なら早期に期待できるが..

(追加② 2020/05/10)
上記の核DNA分析結果は、「韓国加徳島獐遺跡出土人骨のDNA分析」2019/06 で諭文名は検索できるが、
内容は、韓国文化財研究院の論文集でのみ公開されており、日本国内の公共図書館(国会図書館、国立科学博物館、山梨大学)には所蔵されていない。
韓国初の新石器時代の核DNA解析であり、とんでもないビッグニュースにもかかわらず、詳細が不明で異様である。
推察するに、韓国の新石器人骨が縄文人的であったため、韓国国内で広く公表することを控えているように思われる。

=====================

ところが、問題のデータは意外なところに公開されていました。

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出典:ゲノムからみる弥生時代人 I 神澤秀明 博士(国立科学博物館)

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出典:斎藤成也 遺伝子DNAから日本人の源流を探る

見ればわかるように、6300年前の朝鮮半島南部に住んでいた人間のDNAは、現代の日本人とほぼ同じです。
つまり、当時の朝鮮半島には、縄文人のDNAを濃く受け継ぐ人間が住んでいたということになります。

なお、現在の韓国人のDNAは、日本人と中国北部の中間(混血)です。つまり、多少は縄文人の影響があるということになります。

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出典:斎藤成也 遺伝子DNAから日本人の源流を探る

言い換えれば、このページ書いたようなことは、小説でもSFでもなく、事実である可能性が高いということなのです[exclamation×2]

【参考情報】前回の記事の再掲

これは、戦争に明け暮れた近代ヨーロッパの国民国家成立の過程によく似ています。

フランス革命で国民国家が最初に成立し、傭兵制から徴兵制に切り替えたフランス軍は、名将ナポレオンの指揮の下、強力なパワーであっという間に全ヨーロッパを席巻します。

この影響で、それまで小国が分立していたドイツやイタリアでも、フランスに負けじと短期間で国民国家が成立しました。

逆に、国民国家に乗り遅れた国は、戦争に勝てないので悲惨な末路を迎えます。

このアナロジーから考えると、紀元前1世紀頃に日本、新羅、百済などが建国し、いずれも4世紀半ばから強力な統一国家を形成したのは、偶然ではなく必然ということなります。そうしないと、国が滅亡するのだから当然です。

これは、1世紀の倭国動乱後にヤマト王権が成立したこととも、時期的にぴったりです。

統一国家形成に唯一乗り遅れたのが任那日本府=加羅で、昔のままの小国分立体制では、強力になった半島の他国に勝てるはずがありません(現地に強力な国家ができるのは、ヤマト王権が許さなかった?)。最終的には、日本からの援軍もむなしく、白村江で統一新羅に完敗し、その後に日本の影響力は半島から一掃されることになります。

【追記】

その後、雑記帳の管理人さんから、Natureの英語論文とbioRXivのプレプリントを紹介していただきました。

○Nature
Triangulation supports agricultural spread of the Transeurasian languages
https://doi.org/10.1038/s41586-021-04108-8

○bioRXiv
Diverse northern Asian and Jomon-related genetic structure discovered among socially complex Three Kingdoms period Gaya region Koreans
https://doi.org/10.1101/2021.10.23.465563

やはり、昔の朝鮮半島の人間のDNAは、縄文人、弥生人、現代日本人とほぼ同じのようです。

次は、後者にある1700年前の伽耶のデータです。

F2.large.jpg

これまでの結論は変わらなくてよかった(笑)。

ただ、残念ながら、これらの2つの論文は、結構なバイアスがかかっているようです。
前者のデータは、日本と韓国を直接比較してない点と、稲作の海上ルートがすっぽり抜けてます。また、(East Sea)という表記も気になります…。

後者のデータは重要だと思います。当時の伽耶の人間は、日本人とほとんど見分けが付かないですね。日本からの文化の輸出も相当あったはずですが、その点は敢えて書いてないです。

日本は英語で反論しないと、このまま誤解が定着しそうです(苦笑)。

【追記2】

その後、雑記帳の管理人さんから、韓国人1094人をゲノム解析した論文を紹介いただきました。

何回もありがとうございます。

ひょっとして、いままでは他国と同一基準で公開できるデータが少なかっただけなのでしょうか。
なお、この論文のデータは蔚山が中心とのことで、大都市だから全国から人が集まっている可能性は高いと思いますが、Discussionにあるとおり、均質だと「言い切ってしまう」のはどうでしょう。
日本と比較すると、均質の度合いが多少高いといった感じではないかと思いますが…。
興味を引いたのは、Supplementaryの最後のPDFのFig.S13で、やはりY遺伝子ではハプロタイプD=1.42%と日本に比べると極端に少ないようです。

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日本と朝鮮半島をめぐる古代史のメモ [ゲノム解析で古代史]

時間がないので、とりあえずの備忘録です。
そのうち、もっとわかりやすく書き直したいと思いますが、できるかな…。

ゲノム解析の結果は、このサイトがわかりやすいです。

弥生人DNAで明らかになった日本人と半島人の起源
-朝鮮半島に渡った縄文人-


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気が付いた範囲で、このサイトの内容を補足しておきましょう。

【1】縄文土器は朝鮮半島南岸でも出土されるが、非常に数が少ない

これは、朝鮮半島に縄文人が住んでいなかった有力な物証とされます。
おっかし~なぁ~と思っていたのですが、逆転の発想で解決した…はずです[たらーっ(汗)]

おそらく、7300年前の鬼界カルデラ大噴火後には、生き残った九州の縄文人の一部が、当時人口空白地帯だった朝鮮半島にまで逃れたのでしょう。
(火山灰が数十センチ降り積もった南九州は、ほぼ全滅の模様です[もうやだ~(悲しい顔)])

この結果、土器については、人間とは逆に、当時の朝鮮半島の縄文人を通じて、北方の製法が日本に「逆輸出」された可能性が高いと思います。

Wikipediaで調べると、

曽畑式土器
熊本県宇土市の曽畑貝塚からはじめて出土した土器である。縄文時代前期(鬼界カルデラ大噴火後)の標式土器であり、九州や沖縄から見つかっている。朝鮮半島の櫛目文土器とは表面の模様のみならず、粘土に滑石を混ぜるという点も共通しており、櫛目文土器の影響を直接受けたものと考えられている。しかしその作り手はおそらく北方系の櫛目文土器の担い手[つまり朝鮮半島の縄文人]ではなく、轟B式土器の分布の範囲で、曽畑式土器が作られるようになることから、轟B式土器の作り手である南方性海洋性民族(南島系海人族[つまり縄文人])の担い手が、櫛目文土器の造り手(ウラル系民族)との接触により、影響を受けたものと考えられる。

櫛目文土器
櫛歯状の施文具で幾何学的文様を施した土器の総称である。器形は尖底あるいは丸底の砲弾形が基本的である。新石器時代においてユーラシア大陸北部の森林地帯で発達し、バルト海沿岸、フィンランドからボルガ川上流、南シベリア、バイカル湖周辺、モンゴル高原、遼東半島から朝鮮半島に至るまで広く分布する。

轟B式土器
九州地方を中心に中国地方西部、山陰地方、朝鮮半島南岸まで広がる約6000年前の土器である。

とあります。

ただし、曽畑式土器が櫛目文土器に似ているのは外見だけで、製法は「見よう見まね」であまり似てないそうです。

また、満州ブログには、

轟B式・曽畑式土器
熊本県の宇土市の轟貝塚では、アカホヤの層の下から轟A式土器、上から轟B式土器という、同じ系統の土器が見つかる
これは、轟貝塚の住人が鬼界カルデラの爆発で全滅しなかった事、火砕流が宇土市周辺にまで達しなかった事を意味する。
轟貝塚は有明海に突き出た宇土半島にあるが、周辺の人々は、火山灰の被害から逃れるため、轟B式とともに、海へ進出した。

とあります。

【2】アイヌは日本の先住民族なのか

アイヌ人は、弥生時代に入って人口希薄となった北海道に進出し、遺伝子的にはオホーツク人と縄文人が混血した可能性が高いようです。

アイヌ語は、言語学的には日本語と別系統の言語です。
Wikipediaの項目「アイヌ語」によると、方言が少ないことから、西暦1300年ごろに祖語から分化したのではないかとのこと。これは、メガジャーナルのPLOS ONEの査読付き英語論文になっています。
本当だとすると、日本の先住民族はやはり縄文人で、アイヌは1000年足らずの歴史しかないことになりますね。

そういうこともあり、アイヌ語と日本語は別系統の言語であり、やはり別民族のようです。
沖縄語と日本語は同系統だから同一民族ですが、日本人とアイヌは別民族と考える方が素直なのです。
実際に、国立科学的博物館ではそう主張していますが、今後どうなるかはわかりません…。

DNAからみた縄文人ㅣ神澤秀明 博士(日本 國立科學博物館)
14:10 最近の研究によって、必ずしも「アイヌ=縄文人ではない」

前述のように、アイヌ語は西暦1300年ごろから広まった(らしい)というのは事実です。
また、アイヌに伝わるコロボックルという伝承が史実を反映しているとすると、

1.アイヌは先住民族ではない。
2.北海道の先住民族はコロボックルと呼ばれる小柄な民族(小柄な縄文人)である。
3.コロボックルには南方由来の習俗である文身(刺青)をしていた。
4.コロボックルとアイヌが係争した後、海を渡っていなくなった。
5.現在、北海道にある縄文遺跡は、アイヌ人のものではなくコロボックルたちのものである。

https://wiki3.jp/famousdna/page/22 の注1

前述の神澤氏の動画によると、アイヌは遺伝子的にはオホーツク人と縄文人の混血のようです。
なお、これらは、ゲノム解析の結果とも整合します。

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出典:縄文人の核ゲノムから歴史を読み解く

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出典:縄文人の核ゲノムから歴史を読み解く

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出典:拙Twitter

【3】任那日本府はあったのか

任那日本府というのは、ずいぶん前の教科書に載っていましたが、相当昔にそういう記述はなくなってしまいました。
しかし、いままでのゲノム解析が正確で、数千年前から朝鮮半島南部に縄文人が住んでいたとすると、任那日本府が存在したと考える方が自然です。

アイヌも含め、古代日本人のゲノム解析は、イデオロギーの呪縛が極めて大きいようです。
前述の動画も、ソースは日本ではなく「韓国」のサイトです。
理由は簡単で、この縄文人のシリーズの後に弥生人が来るのですが、予想できるように日本人のDNAは「渡来人」がメインだとあることです。
ゲノムからみる弥生時代人 I 神澤秀明 博士(国立科学博物館)

この動画によると、現代日本人のDNAで縄文人由来のものは10%程度とのこと(つまり、残りは全部渡来系…)。

実際に、韓国南部Janghangの縄文時代(6300年前)の人骨のDNAを調べたところ、現代日本人とほぼ同じでした。

Janghang.jpg

ところが、下の2019年の東大の研究によると、現代日本人のY染色体を調べると、少なくとも1/3ぐらいは縄文系に多い系統1です。

ohashi002.png

あまりにも割合が食い違うので、もう一度考えてみました。

実は、縄文人とのDNAの一致度は、基本的に全DNA(ゲノム)で調べています。縄文人だって現代人だって個人差は大きいはずです。
仮に、現代人の個人間のDNAの一致度を調べたとしても、絶対に100%になるはずがありません(笑)。逆に、サンプルが少なければ10%という数値が出ても不思議じゃありませんし、計算方法から考えても、時代がたてばたつほど一致度は低下するはずです。

これは、DNAの一致度を計算する場合は、単純計算で出た数字は当てにならないということです。誰も疑問に思わかったんでしょうか。
(うまくモデルを作ればいいのですが、私の頭では思いつきません…)

結論ですが、Y遺伝子は時代によって変化しないので、どう考えても我々は1/3以上(半分ぐらい?)は縄文人なわけです。こんな感じで、新型コロナと同じく、従来の定説を「まとも」に信じるのは相当危険ということになりますね[たらーっ(汗)]

【4】中国北部の遺伝子の影響

前述の動画によると、日本人のDNAは、稲作到来までは中国中部(長江流域)の影響が強く、その後は中国北部の影響が強くなっているようです。

ゲノムからみる弥生時代人 I 神澤秀明 博士(国立科学博物館)

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稲作到来後には、百済滅亡や白村江の敗戦などの朝鮮半島動乱により、何回か大人数が渡来してきました。弥生時代より中国北部の影響が強くなったのはこのせいなのかもしれません。

【5】ヤマト王権の成立時期と朝鮮半島の国々

前述のように、縄文人が朝鮮半島南部に数千年前から住んでいて、日本本土と交流があったとすると、ヤマト王権の成立時期は、朝鮮半島南部の国家成立と同じか、それより前ということになります。

なぜなら、朝鮮半島南部より国家成立が遅れると、軍事的に攻め込まれる可能性が高いからです。

現実は、広開土王碑にあるように、西暦400年ごろに日本は既に高句麗と戦っていました。これは、少なくとも4世紀半ばまでには、半島に大軍を送り込むほどの強力な統一国家が成立していたということになります。

逆のことも言えます。紀元1世紀ごろには日本にこれほどの力はなかったということです。
新羅や百済の初代の王は、紀元1世紀前後に即位したと推測されているので、神武天皇もほぼ同時期に即位したのではないでしょうか。

参考までに、推古天皇以前は、春秋年(春と秋に各1年なので、現在の1年が2年となる※)を採用していたとすると、神武天皇の即位時期は紀元前1世紀ごろとなり、新羅や百済の初代の王とほぼ一致します。

※春秋年は、魏志倭人伝の裴松之による注釈にも記述がある。

これは、戦争に明け暮れた近代ヨーロッパの国民国家成立の過程によく似ています。

フランス革命で国民国家が最初に成立し、傭兵制から徴兵制に切り替えたフランス軍は、名将ナポレオンの指揮の下、強力なパワーであっという間に全ヨーロッパを席巻します。

この影響で、それまで小国が分立していたドイツやイタリアでも、フランスに負けじと短期間で国民国家が成立しました。

逆に、国民国家に乗り遅れた国は、戦争に勝てないので悲惨な末路を迎えます。

このアナロジーから考えると、紀元前1世紀頃に日本、新羅、百済などが建国し、いずれも4世紀半ばから強力な統一国家を形成したのは、偶然ではなく必然ということなります。そうしないと、国が滅亡するのだから当然です。

これは、「空白の4世紀」にヤマト王権が成立したこととも、時期的にぴったりです。

統一国家形成に唯一乗り遅れたのが任那日本府=加羅で、昔のままの小国分立体制では、強力になった半島の他国に勝てるはずがありません(現地に強力な国家ができるのは、ヤマト王権が許さなかった?)。最終的には、日本からの援軍もむなしく、白村江で統一新羅に完敗し、その後に日本の影響力は半島から一掃されることなります。

この敗戦の結果、日本人男性はほとんどが殺害されたらしく、縄文人で最も多かったY遺伝子の系統1=ハプロタイプD1bは、朝鮮半島からほぼ姿を消すことになります。対して、女性はそれほど殺害されなかったためか、遺伝子全体で見ると縄文系の影響は現在まで色濃く残っています。

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(再掲)

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(再掲)

なお、天皇家のY遺伝子は縄文系(らしい)とのことで、縄文系の土着日本人が、中国渡来の最新技術と習俗を採用し、日向から出て日本を制覇したと考えると、明治維新と共通するものを感じます。日本神話を素直に読むと、天皇家が中国から来たとするより、その方が自然ですね。

縄文人は入れ墨をしていたはずですから、これはある時点で廃止し、着ている服も百済経由の「呉服」を採用したはずです。人心一新を目指すなら、明治維新と同じで国家体制が変わるときなんでしょうね、たぶん。

以上が、ゲノム解析、史実、土器などから推測される、もっとも確からしい日本と朝鮮半島をめぐる古代史の概要です。とは言っても、私の勝手な推測も相当含まれていますが…。

首を長くして待ってますから、井沢元彦氏が「シン・逆説の日本史」[本]ででも書いてくれないかなぁ~。
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ゲノム解析でわかった稲作伝来の歴史! [ゲノム解析で古代史]

日本の古代史に興味がない人はいないでしょう。
しかし、いままで日本の古代史は、各地の遺跡や中国の歴史書などに基づく推測にとどまっていました。
なぜなら、日本で文字が使われるようになったのは、早くても5世紀頃からで、文字による記録が残っていないからです。

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出典:ことばの疑問

非常に残念というしかありません…。

話は変わりますが、昔から私は歴史は暗記物だと思い込んでいて、ほとんど興味がありませんでした。
それが、井沢元彦氏の「逆説の日本史」を読んでからは、以前とは考えが180度変わったのです[グッド(上向き矢印)]

逆説の日本史1 古代黎明編/封印された「倭」の謎 (小学館文庫)

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  • 作者: 井沢元彦
  • 出版社/メーカー: 小学館
  • 発売日: 2012/11/19
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彼の分析の最大の特色は、いままでの歴史学に欠けていた、宗教と通史をプラスした視点です。
まさに「目から鱗が落ちた」でした!
このときに、歴史は決して暗記物ではなく、その時代の人間の赤裸々な生き様を明らかにするものだということを実感したのです。

井沢氏が言われて最も喜ぶ言葉は、そのとおり「目から鱗が落ちた」とのこと。

しかし、彼の代表的な著書である「逆説の日本史」は、タイトルどおり従来の歴史観を覆すことも多いためか、歴史学者からはまともに評価されていません。
それどころか、強烈な批判や、反対に全く無視されることも少なくないのです。
既存の学会は相当閉鎖的で、部外者からの意見や批判を嫌うからでしょう。

しかし、最近ではこういう状況が激変しつつあります。
理由は、ゲノム解析と言われる、生物の遺伝子=DNAを分析する技術のめざましい進展です。

この最新技術で、数千年前の縄文人のDNAさえ解明が可能になり、地域別、時代別などの多面的な分析が進められることにより、古代史のダイナミックな姿が次々に明らかになってきました。
以前とは比べものにならない精度で、極めて科学的に精緻な分析が可能になってきているのです。

87r1_4.jpg
出典:縄文人の核ゲノムから歴史を読み解く

最新DNA研究が解き明かす。 日本人の誕生

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  • 出版社/メーカー: 秀和システム
  • 発売日: 2020/08/01
  • メディア: 単行本

このハイテクは、既存の歴史学だけではなく、考古学にも大きく波紋を広げています。

たとえば、日本への稲作技術の伝来ルートは、長らく地理的に近い朝鮮半島経由(下の図では1と2)と思われてきました。
これは、主に従来の考古学的な分析によるものです。

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出典:お米のはなし 国際農林業協働協会(JAICAF)

しかし、農学者の佐藤洋一郎氏がイネのゲノムを分析した結果、この説は必ずしも正しくないことがわかりました。
再び「目から鱗が落ちた」です[グッド(上向き矢印)]

youbute2.PNG
出典:拙Twitter

細かい経緯は省き、シンプルに説明しておきます。

中国、朝鮮半島、日本の水稲在来品種を分析したところ、a~hの8つの遺伝子が見つかりました。

○中国(原産地) a~hの8つの遺伝子
○朝鮮半島 bを除く7つの遺伝子
○日本 aとbだけ

出典:お米のはなし 国際農林業協働協会(JAICAF)

a遺伝子は中国には高頻度で分布していませんが、朝鮮半島と日本には高い頻度で分布しており、朝鮮半島を経てきたと推測できます。一方、b遺伝子は朝鮮半島の在来品種には見当たらず、中国大陸から直接日本に達するルートを経てきたと思われます。つまり、水稲と水田稲作技術は、朝鮮経由と中国から直接の2ルートで渡来したのです。
出典:佐藤洋一郎「稲の日本史」角川ソフィア文庫 2018年

稲の日本史 (角川ソフィア文庫)

稲の日本史 (角川ソフィア文庫)

  • 作者: 佐藤 洋一郎
  • 出版社/メーカー: KADOKAWA
  • 発売日: 2018/03/24
  • メディア: Kindle版

なお、佐藤氏はその後の著書で、朝鮮半島経由を否定しています。

twitter2.PNG
出典:拙Twitter

米の日本史-稲作伝来、軍事物資から和食文化まで (中公新書)

米の日本史-稲作伝来、軍事物資から和食文化まで (中公新書)

  • 作者: 佐藤 洋一郎
  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 2020/02/18
  • メディア: 新書

しかし、この内容は従来の定説を覆すものであるため、考古学者の池橋宏氏らによって強烈に批判されたそうです。
ポイントは次のとおりです。

1. 縄文土器のイネモミ跡は疑問である
2. プラント・オパールおよび花粉分析によるイネの検出をどう見るか
3. 縄文時代に畑作農耕の可能性はない
4. 縄文農耕の考古学的証拠は
5. 熱帯ジャポニカの想定は正しいか

出典:お米のはなし 国際農林業協働協会(JAICAF)

この批判は明らかにおかしいのです。
批判の主力である池橋宏氏らは「考古学者」です。しかし、佐藤洋一郎氏は「農学者」です。学問的にどちらを信用するといえば、当然後者の佐藤氏でしょう。

典型例は1と2です。

次は、池橋氏らの批判のポイントです。

1. 縄文土器に付着していたものはイネモミではない
2. プラント・オパールおよび花粉は、当時のものではなく、後世のコンタミネーション(汚染)によるものである

そこで、池橋氏らに批判されている岡山県古代吉備文化財センターのサイトを確認してみました。

okayama.jpg

説明を読めばわかるように、「農学の専門家による鑑定」「土器の土の中からイネのプラント・オパールが発見」とあります。ですから、上の1と2は明らかに言いがかりです。池橋氏らは考古学者であり、農学者などによる専門的な分析結果を覆すほどの知見を持っているはずがありません。

また、年代についても、以前は朝鮮半島の2500年ほど前の稲作の遺跡が、日本で発見された遺跡より古かったのです。しかし、上の岡山県の遺跡の年代は3000年ほど前なので、朝鮮半島の遺跡より古いのです。

そして、この3000年前という年代は、国立歴史民俗博物館が、他の遺跡でも炭素14測定法で確認しています。

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出典:朝日新聞 2003年5月20日

これだけの資料が揃っていれば、日本の稲作は必ずしも朝鮮半島経由だけでないことは明らかです。
ところが、Wikipediaの稲作の項目を見ても、いまだに「論争が続いている」ことになっています。

推測ですが、これは未だに(考古学者を中心に?)強硬な反対があるからでしょう。

なぜ、ここまでやっきとなって、以前より科学的に精度が高いはずの結果を否定するのでしょうか?
私が思うに、考古学は「文系」の学問なので、ゲノム解析のような理系の最新ハイテクについて行けないからでしょう[もうやだ~(悲しい顔)]

実際に、いくつか大学の考古学専攻のシラバスを調べたところ、「文系」のため数学の単位は必須ではありません。
ゲノム解析には、確率・統計や線形代数(主成分分析などの多変量解析)の知識が必須になりますが、数学の基礎知識がない人には少々とっつきずらいこと[たらーっ(汗)]も確かです。

これは決して推測でなく、私と議論した考古学専攻?の方が、ほとんど基礎知識がないことで明らかです。

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出典:拙Twitter

引用はしませんが、上のYouTubeを速攻で「俗説」と決めつけた人(考古学者?)がいるのには驚きました。

別な例を出しておきます。

mitajama0.png
出典:拙Twitter

※なお、下の図が正しいとすると、以前の佐藤氏はc遺伝子はわずかですが存在するといっていたようです。最近の本には書いてないので、訂正したのでしょうか?

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出典:https://twitter.com/MitaJama/status/1486728159920013312

心理学とAIは相性がいいはずですが、見たことがないこととそっくりですね…[たらーっ(汗)]
血液型と性格と同じじゃないですか!

大変残念な結果になってしまいました…。


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