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6300年前の朝鮮半島に「縄文人」が住んでいた!?【補足】 [ゲノム解析で古代史]

前回の続きです。

加徳島の獐項遺跡ですが、

fuzan.JPG

実は、昌原市の三東洞遺跡より近くに、金海市(Gimhae)の「大成洞遺跡(古墳)」があることがわかりました。下の図では①となります。

大成洞2.png

元の図は次の通りです。

20220403501942.jpg

なお、この図を見ると、古墳時代の「前方後円墳」ではなく、弥生時代の卑弥呼の墓と同じ「円墳」であることがわかります。

出所 「鉄の王国」伽耶古墳群の世界遺産登録、最後の峠を越えるか
https://japan.hani.co.kr/arti/culture/43041.html

参考(1) Korea Trip Tips

参考(2) Daeseong-dong Tombs Musium

参考(3) 金海・良洞里遺跡で弁韓時代の漆弓と三国時代の短甲などが出土

そして、大成洞遺跡の近くには「良洞里遺跡」があります。

加徳島.png
出所 海の道むなかた館 館長講座「邪馬台国への道」

さて、小沢文雄氏の「邪馬台国連合のすべて」によると、上の図(赤字)に書いたように、良洞里遺跡(2世紀前半)からは北部九州の土器が出土、大成洞遺跡(3世紀中頃)からは近畿地方の土器が出土したとのこと。
邪馬台国連合のすべて データから読み解く

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  • 作者: 小沢 文雄
  • 出版社/メーカー: 梓書院
  • 発売日: 2023/09/29
  • メディア: 単行本
邪馬台国連合のすべて.png ちなみに、「狗邪韓国」は魏志倭人伝に出てくる地名です。その時代の土器は北九州由来ということなのですから、邪馬台国が北部九州にあったことは明らかです。 もちろん、この2つの遺跡から目と鼻の先にある加徳島の獐項遺跡が、大成洞遺跡や良洞里遺跡と関係ないとは思えませんし、以前の記事のように弥生時代の土器も出土しているのです。 つまり、この炭素14法による年代測定の結果である「6300年前」以外の ・DNAと墳墓土器 など、ほぼすべてが「弥生時代」を指しているのです。 科博の研究者がそんなことを知らないとは思えないのですが、極めて不思議なことに何も書いてありません。まったく不可解というしかないのです…[たらーっ(汗)]。 そういえば、核ゲノム解析が可能だったのは、日本では北海道の礼文島・船泊23号の3800年前が最古です。それより南では、DNAの分解が早くなるのか、せいぜい古くても3000年前です。 釜山近くの加徳島なら、日本とあまり条件が変わらないはずで、やはり6300年前のDNAが解析できたというのは、ちょっと無理があるのではないでしょうか? なお、この「邪馬台国への道」のP18には、こうあります。 uma.png これは、弥生時代の造船技術では、対馬海峡経由で牛や馬を運搬可能な大型船を作ることが不可能だったということです。このことは、弥生時代以前には、大量の渡来人が日本に来ることが不可能であったことも意味します。その意味で、「二重構造説=大量の渡来人」は誤っていることになります。


【2023.11.16追記】

魏より前の漢との朝貢時には、沿岸部ではなく平野の茶戸里遺跡(前1世紀頃)が拠点でした。
それが、後漢末や魏の時代になってから沿岸部に移転しました。
それからすると、加徳島の遺跡はやはり紀元後の弥生人なのではないでしょうか…。

youtube104無題.jpg
出所 【ゆっくり解説】交易から見た邪馬台国 23:00頃


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