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6300年前の朝鮮半島に「縄文人」が住んでいた!?【追記あり】 [ゲノム解析で古代史]

前回の続きです。

ヤマト王権(以下は、当時の感じが出ないので「大和朝廷」とします)の成立と、新羅、百済、そして任那日本について、ある程度の整理はできたのですが、まだモヤモヤ感が残っていました。

そこで、未練がましく朝鮮半島の三国について調べていたところ、思わず次の記事に膝を打ちました。

楽しくわかりやすい!?歴史ブログ
空白の4世紀の間で日本で何が起こったのか?

まさにこれが、私の求めていた解答だったのです!

なぜこんなに簡単なことに気が付かなかったのでしょう。

ポイントだけ簡単に引用しておきましょう。

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3世紀頃のこと。ユーラシア大陸の北部で寒冷化が起こっていたとされています。そのため食糧を求めて民族の動きが活発化(ローマ帝国にまで影響を与えた)、中華帝国も動乱の時代に突入します(日本も卑弥呼亡き後の『倭国大乱』に突入)※。

※だから、日本は海外使節を出す余裕がなく、「空白の4世紀」が生まれたということでしょうかね。

高句麗もその動きに呼応して南下を開始しています。

高句麗は強力な騎馬軍団だったそうです(モンゴルも近いし、何となく馬がたくさんいるのは想像は出来ますね)。

そこでとった行動が

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百済・伽耶 → 倭国に協力を求める
新羅 → 高句麗に下る   でした。

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ここまで読めば、勘が鋭い人ならすぐ察するでしょう。

高句麗の強力な騎馬軍団が南下を開始したため、朝鮮半島の国々では一大軍拡競争が勃発したはずです。
では、朝鮮半島の国々は具体的にどう防衛すべきなのか。

必勝パターンは決まっていて、早急に強力な中央集権国家を整備し、徴兵制を敷いて多くの兵を集めることです。加えて、ロジスティクスを万全にするため、物資の生産・調達・流通を国家が一手に握り、集中管理することも必要になります。つまり、国家総動員体制の構築です。
(参考情報は、この記事の最後に)

我々日本人は、明治維新から太平洋戦争まで、いやというほど実例を体験しています。

こうして、のんびりとしていた朝鮮半島の状況は一変し、やがて馬韓→百済、弁韓→伽耶、辰韓→新羅という一連の中央集権国家群に変貌することになります。当然のことながら、この朝鮮半島の大軍拡競争は、一衣帯水の日本にも非常に大きな影響を与えざるを得ません。日本も強力な中央集権国家を目指すことになります。

各国の行動が目に見えるようになるのは、4世紀後半になってからです。
日本でも朝鮮半島でも、新たな中央集権国家の権力を誇示するように、巨大な前方後円墳が続々と建設されます。その究極のシンボルが、巨大な応神天皇陵や仁徳天皇陵(大仙古墳)です。

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出典:堺市博物館

また、この時期には、なぜか日本では縄文時代からの長年の風習だった入れ墨がなくなっています。
私の推測ですが、「臨戦態勢」ということで、当時の大多数の国民の理解を得たのでしょう。
明治維新の富国強兵政策では、武士の象徴だったちょんまげを廃止し、西洋式の靴と軍服に切り替えたのですから、今も昔も同じことをやっているいるわけです。
馬が初めて日本に導入されたのも、最新兵器という意味があったに違いありません。

中央集権化の過程で、日本各地の地方政権は、最終的には大和朝廷に併合されたはずです。大国主命の国譲りの神話は、まさにこのことを象徴しているに違いありません。

おとなしく併合された国ばかりではなく、なかには戦争になったケースもあったでしょう。その象徴が、大国主命の2人の息子、国譲りに同意した事代主、反対した建御名方神なわけです。当時日本一の高さを誇った出雲大社は、この国譲りの交換条件だったということになります。

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出典:出雲大社

こう考えると、古事記や日本書紀は、驚くほど的確に当時の情勢を反映していることになります。
いやぁ、すごいなぁ~。

さて、ここからは本来のゲノム解析の話に戻ります。

これらの一連の過程の中で、日本に協力を求めた百済からは、大量の移民が到着します。中国南部の最新技術や漢字も、このときに呉音と一緒に持ち込まれたのでしょう。これらの移民は、遺伝的には中国北部の影響が強いため、日本人の遺伝子は縄文系から多少変化したはずです。

しかし、日本の援助もむなしく、最終的に白村江の敗戦で百済と任那日本府は滅亡し、朝鮮半島からは日本の勢力は一掃されます。残った男性はほとんど殺害されたらしく、現在の朝鮮半島のY遺伝子には、縄文人の影響(系統1)は見られないのです。

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出典:2019年の東大の研究

閑話休題。

ここで、突然時代は6300年前に遡ります。

2019年に、朝鮮半島南東部の釜山・長項(Jang hang)で、6300年前の人骨のゲノム解析が行われました。結果は、

神澤秀明 韓国加徳島獐遺跡出土人骨のDNA分析
文物 2019年6月 韓国韓国文化財研究院

という報告書に日本語と韓国語で書かれているのですが、なぜか未だに日本では入手不可能です。
私は知らなかったのですが、朝鮮半島に「縄文人」がいたと言うことで、ネットでは結構な騒ぎになっていたとのこと。

詳しい経緯は、次のサイトに詳しく書かれています。

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雑記帳
2020年11月27日
韓国釜山市の6000年前頃の人類のDNA解析

最近ネットで、朝鮮半島には「縄文人」がいた、というような主張を見かけます。確かに、縄文時代の九州と同時代の朝鮮半島との交流が考古学で明らかになっているので(関連記事)、「縄文人」が朝鮮半島に渡ったとしても不思議ではありません。こうした主張那主要な元ネタの一つとして、韓国釜山市の加徳島で発見された6000年前頃の人類のDNA研究があるようです。日本語記事によると、その研究に関わった一人である篠田謙一氏は公開シンポジウムで、この6000年前頃となる加徳島人集団が日本列島に到来したならば、(縄文人と)混血せずに現代(本土)日本人になる、と述べたそうです。

検索してみると、この研究は朝鮮語の学術誌である『文物』第9号に掲載された論文のようですが、ネットでは書誌情報しか見つけられませんでした。そこで、Wikipediaを利用して加徳島の朝鮮語表記を確認し、DNAとあわせて検索してみると、論文は見つかりませんでしたが、この論文内容を紹介した朝鮮語のブログが見つかりました(内容紹介1および内容紹介2※)。このブログ記事から推測すると、本論文は印刷版でしか公表されていないようです。

※現在は閲覧不能ですが、日本人に気が付かれたので削除?

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また、次のサイトにもある程度の内容が書かれています。

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弥生人DNAで明らかになった日本人と半島人の起源
-朝鮮半島に渡った縄文人-


(追加① 2019/11/26)
『韓国で、釜山・加徳島の獐項遺跡の人骨(6,300年前:BC4,300年)の核DNA分析を行った結果、縄文人的と判明した。』
とのホットな(学会内部)情報が伝えられた。(2019/11/24)
この情報が、どんな内容で何時 公表されるかに 関心がある。分子生物学者の発表なら早期に期待できるが..

(追加② 2020/05/10)
上記の核DNA分析結果は、「韓国加徳島獐遺跡出土人骨のDNA分析」2019/06 で諭文名は検索できるが、
内容は、韓国文化財研究院の論文集でのみ公開されており、日本国内の公共図書館(国会図書館、国立科学博物館、山梨大学)には所蔵されていない。
韓国初の新石器時代の核DNA解析であり、とんでもないビッグニュースにもかかわらず、詳細が不明で異様である。
推察するに、韓国の新石器人骨が縄文人的であったため、韓国国内で広く公表することを控えているように思われる。

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ところが、問題のデータは意外なところに公開されていました。

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出典:ゲノムからみる弥生時代人 I 神澤秀明 博士(国立科学博物館)

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出典:斎藤成也 遺伝子DNAから日本人の源流を探る

見ればわかるように、6300年前の朝鮮半島南部に住んでいた人間のDNAは、現代の日本人とほぼ同じです。
つまり、当時の朝鮮半島には、縄文人のDNAを濃く受け継ぐ人間が住んでいたということになります。

なお、現在の韓国人のDNAは、日本人と中国北部の中間(混血)です。つまり、多少は縄文人の影響があるということになります。

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出典:斎藤成也 遺伝子DNAから日本人の源流を探る

言い換えれば、このページ書いたようなことは、小説でもSFでもなく、事実である可能性が高いということなのです[exclamation×2]

【参考情報】前回の記事の再掲

これは、戦争に明け暮れた近代ヨーロッパの国民国家成立の過程によく似ています。

フランス革命で国民国家が最初に成立し、傭兵制から徴兵制に切り替えたフランス軍は、名将ナポレオンの指揮の下、強力なパワーであっという間に全ヨーロッパを席巻します。

この影響で、それまで小国が分立していたドイツやイタリアでも、フランスに負けじと短期間で国民国家が成立しました。

逆に、国民国家に乗り遅れた国は、戦争に勝てないので悲惨な末路を迎えます。

このアナロジーから考えると、紀元前1世紀頃に日本、新羅、百済などが建国し、いずれも4世紀半ばから強力な統一国家を形成したのは、偶然ではなく必然ということなります。そうしないと、国が滅亡するのだから当然です。

これは、1世紀の倭国動乱後にヤマト王権が成立したこととも、時期的にぴったりです。

統一国家形成に唯一乗り遅れたのが任那日本府=加羅で、昔のままの小国分立体制では、強力になった半島の他国に勝てるはずがありません(現地に強力な国家ができるのは、ヤマト王権が許さなかった?)。最終的には、日本からの援軍もむなしく、白村江で統一新羅に完敗し、その後に日本の影響力は半島から一掃されることになります。

【追記】

その後、雑記帳の管理人さんから、Natureの英語論文とbioRXivのプレプリントを紹介していただきました。

○Nature
Triangulation supports agricultural spread of the Transeurasian languages
https://doi.org/10.1038/s41586-021-04108-8

○bioRXiv
Diverse northern Asian and Jomon-related genetic structure discovered among socially complex Three Kingdoms period Gaya region Koreans
https://doi.org/10.1101/2021.10.23.465563

やはり、昔の朝鮮半島の人間のDNAは、縄文人、弥生人、現代日本人とほぼ同じのようです。

次は、後者にある1700年前の伽耶のデータです。

F2.large.jpg

これまでの結論は変わらなくてよかった(笑)。

ただ、残念ながら、これらの2つの論文は、結構なバイアスがかかっているようです。
前者のデータは、日本と韓国を直接比較してない点と、稲作の海上ルートがすっぽり抜けてます。また、(East Sea)という表記も気になります…。

後者のデータは重要だと思います。当時の伽耶の人間は、日本人とほとんど見分けが付かないですね。日本からの文化の輸出も相当あったはずですが、その点は敢えて書いてないです。

日本は英語で反論しないと、このまま誤解が定着しそうです(苦笑)。

【追記2】

その後、雑記帳の管理人さんから、韓国人1094人をゲノム解析した論文を紹介いただきました。

何回もありがとうございます。

ひょっとして、いままでは他国と同一基準で公開できるデータが少なかっただけなのでしょうか。
なお、この論文のデータは蔚山が中心とのことで、大都市だから全国から人が集まっている可能性は高いと思いますが、Discussionにあるとおり、均質だと「言い切ってしまう」のはどうでしょう。
日本と比較すると、均質の度合いが多少高いといった感じではないかと思いますが…。
興味を引いたのは、Supplementaryの最後のPDFのFig.S13で、やはりY遺伝子ではハプロタイプD=1.42%と日本に比べると極端に少ないようです。

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