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心理学の性格検査の結果は、「血液型人間学」とぴったり一致する!【奥村教授の勘違い】《再度追記》 [サイト紹介]

前回の続きです。

繰り返しになりますが、統計学の大家である三重大学の奥村晴彦教授のサイトで、血液型の統計解析があることを見つけました。

・話題: B型の彼氏 / 血液型と性格の無関連性 / またまた血液型と性格

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奥村教授が作成した次のグラフ(Persistence=継続性)を見るとわかりますが、血液型の傾向どおりA型が最も忍耐強い」「B型が最も飽きっぽい」「O型もその次に飽きっぽいという結果になっています。

※点がその血液型の値で、誤差の推定範囲は点から上下に伸びる実線で示されています。

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奥村先生は、これは「偶然である」として、こう書いています。

論文では年齢・性別でコントロールしたMANCOVAが使われているが,年齢・性別がわからないので,ここでは単なるMANOVAを使ってみる:

いずれも有意ではない(Pillai 以外の方法については manova() のマニュアル参照)。

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確かに、最初と2番目の赤の下線にあるように、遺伝子型(Blood types)も表現型(ABO)もp>0.05ですので有意ではありません。

しかし、この数字は間違っているのです。なぜなら、一番下の赤の下線にあるように、なぜか「Pillai 以外の方法」の値の記述がなく、元の(土嶺さんの)論文では有意になった「Pillai 以外の方法」の値を採用しているからです。

※元の論文にはp=0.001で有意とあります。

下に、私が教授と同じ方法でフリーソフトのjamoviを使って計算した結果を示します(欠損値を除いた1435サンプルで計算)。

okumura6.JPG

確かに、Pillai's Traceこそ奥村教授と同じp=0.282となっていますが、Roy's Largest Root は、p=0.002ですから有意水準0.05よりはるかに小さく、文句なく有意となります。

奥村教授は、おそらくRoy's Largest Rootは計算しなかったのでしょう。 なぜなら、これらの4種類の数値、Pillai、Wilks、Hotelling、Royは、普通はだいたい一致するからです。
[2019.9.23 8:30追記 もう一度チェックしたら、論文中に"we used Roy's largest root statistics"とあるので、有意差が出ているのに無視した可能性もあります。仮にそうだとすると、少々問題なのではないかという気もしますが…。そもそも、MANCOVAのp値(genotypeで0.001、phenotypeで0.014)はAbstractも含めて何回も出ているのに、まったく書かないというのはケアレスミスとは考えにくいですしね。[ふらふら]

※jamoviの使い方は、こちらのサイトに日本語で解説されています。⇒MANCOVAはこちら
以前はRとEZRを使っていたのですが、jamoviはGUIで使えるので非常に使いやすいです。技術の進歩はすごいですね。


よって、奥村教授の「偶然である」という判断は否定されることになります。
ということで、奥村教授の次の文章、

慣習的な統計的検定を使う際には,多重比較に陥らないように注意すべきである。この論文のように変数が7個もある場合は,全部をまとめた検定(上の例ではMANCOVAやMANOVA)をまず行い,それが有意にならなかったら,個々の変数についての検定は参考程度にとどめる。

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は、MANOVAがp=0.002で有意なのですから、Persistenceに有意な差があることは確定と考えていいことになるでしょう。

結局、奥村教授の言う、差が出たのは「偶然」だという主張は、現実のデータで否定されてしまうのです。

では、なぜRoy's Largest Rootだけが他の3つの値と違うのでしょうか。
手持ちのデータでシミュレーションをしてみたところ、男女や年齢で血液型の影響が変わってくる場合、Roy's Largest Rootだけが有意になったりするようです。
よって、血液型のデータをMANOVAで分析する場合、奥村教授のように、Pillai's Traceだけで判断するのは「危険」ということになります。

ここで、念のために他の質問項目を調べると、Persistenceだけではなく、Reward DependenceやCooperativenessではほぼ血液型が予測するとおりの差が出ているようです。
RDは前回報告したとおりですが、Cでも、O型とA型は、B型やAB型より数値が高いのです。
7項目中3項目でそうなのですから、やはりこれらの差は偶然ではないと判断するのが妥当かと思われます。

実は、奥村教授のこのサイトには、もう一つの致命的な間違いがあります。

特に日本や韓国など血液型性格判断を信じる人が多い国では,性格テストに現れる性格は,血液型に影響されてしかるべきである。「□型の性格は○○である」と聞いて育った□型の人は「自分の性格は○○だ」という先入観を持ち,性格テストでもそのように答える傾向があってもおかしくない。

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しかし、血液型の性格で「自己成就」しているなら、仮に他の性格指標で差がないとしても、それは「見かけ」だけで、本当は差が出るはずです。よって、有意差に関係なく帰無仮説は棄却されることになります。

統計の専門家だから、かえって「血液型と性格」を誤解するのかもしれませんね。帰無仮説が無意味なんて、普通は考えないですからね(笑)。

このように、血液型は「統計の常識」をことごとく否定してしまうのです。
遺伝子が性格に与える影響を直接的に研究しているケースはほとんどないはずなので、こんな奇妙なことが起きても特に不思議ではないのかもしれません。

現時点では、真相は神のみぞ知る…というところ、ですかね?

誰かが一刀両断に謎を解き明かしてくれないでしょうか…。

【2019.9.22 18:20 追記】

調べてみたところ、
・Pillai's Traceが適していないのは、自由度が1より大きい場合
・Roy's Largest Rootが適しているのは、帰無仮説からのずれが大きく、固有値が大きく異なる場合
とあり、どちらも土嶺章子氏の論文に当てはまると思うのですが。

なお、ソースは次のとおりです。
https://www.statisticshowto.datasciencecentral.com/pillais-trace/
http://www.jmp.com/japan/support/help/13/flm-multiple-response-10.shtml
元々のソースは、いずれも Seber, G.A.F. (1984). Multivariate Observations. とのことです。


後者のサイトには「残念ながら常に他よりも優れている検定というのものはありません」ともあります。

【2019.9.22 21:30 追記】

ところで、MANOVAの計算には線形代数(行列)を使います。
私は、数学は嫌いではありませんが、線形代数は大の苦手でした。[あせあせ(飛び散る汗)]
それでも、ちょっと気になったので、TCIの7つの性格因子の関係が「線形」代数でうまく扱えるのか、直感的にわかるように分布図を書いてみました。

少々極端な例として、HAとSDの関係を示しておきます。

okumura7.JPG

結果は見たとおりで、2つの関係は「線形」(1次方程式)ではなく、2次(以上の)方程式でないとうまくフィットしません。

実は、MANOVAの計算にはいくつかの条件があり、
1. 正規分布
2. グループのサンプルサイズが同じ
3. 従属変数間に相関があってもよい
ということになっています。

このHAとSDでは、rは0.565(R2=0.319)ですから、結構な相関があります。
しかし、この相関は「線形」ではありません。
この場合、MANOVAはたしてどのような結果になるのでしょう?
Roy's Largest Rootだけ極端にpが小さいのは、そういう理由からかもしれません、ね…。

【2019.9.22 23:30 追記】

Roy's Largest Rootだけ極端にp値が小さい理由がやっとわかりました。[るんるん]
私は線形代数は苦手なのですが、さすがに固有値λぐらいはわかります(どうやって計算するんだっけ?[あせあせ(飛び散る汗)]

MANOVAでは、p値を計算するのに、擬似的なF分布を使います。
簡単に言うと、従属変数ごとにこのλを計算し、λの値が大きいほど(逆数の場合は小さいほど)p値が小さくなります。
計算方法はわからないので省略します。[あせあせ(飛び散る汗)]

okumura8.JPG
ソース:心理統計法-多変量分散分析(1)

では、具体的にMANOVAの4つの値
・Pillai's Trace
・Wilks' Lambda
・Hotelling's Trace
・Roy's Largest Trace
はどうやって計算するのでしょうか。

私が一番わかりやすかったのは、次の英語版Wikipediaでした。

okumura9.JPG

これなら素人でもわかりますね(笑)。

・Pillai's Trace
・Wilks' Lambda
・Hotelling's Trace
の3つは、すべての従属変数のλの平均値です。
#平均の出し方にはいろいろな方法があります。

ところが、Roy's Largest Rootだけはすべての従属変数のλの最大値なのです!

土嶺章子氏の論文を読めば明らかなように、TCIの7つの性格因子は、Persistenceだけがかなり小さなp値で有意なものの、残りの6つにはほとんど有意差はありません。

これはどういうことかというと、Persistenceだけが有意な場合は、Roy's Largest RootだけがMANOVAの結果で有意になるということです。Pillai's Traceなどの残りの3つは、7つの性格因子の平均値なので、有意差は小さくなるか、消滅するということになります。

これは、最初の16:20の追記の内容
・Pillai's Traceが適していないのは、自由度が1より大きい場合
・Roy's Largest Rootが適しているのは、帰無仮説からのずれが大きく、固有値が大きく異なる場合
ともうまく符合します。
やっと謎が解けたので、これで枕を高くして眠れますね。[ウッシッシ]

【2019.9.23 9:20 追記】

我ながらしつこいのですが、手持ちのデータでMANOVAをやってみました。
少数の従属変数だけに有意差がある場合は、Roy's Largest Rootが適していることは明らかです。
6つの質問項目のうち、血液型で最も差が大きいのはq3-2ですが、予想どおりRoy's Largest Rootだけがp=0.002で有意で、他はp=0.092だから有意ではありませんでした。
奥村先生もうっかりしたのですかね。
弘法も筆の誤りということでしょうか…。

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欺善者

科学的議論とは統計の方法と計算結果の数字について議論することなんですか?「科学的議論」が確定したところで何ですが、どうしてもその理屈が理解出来ないので分かりやすく教えて下さい。科学は誰が調べても同じ結果が出るという、理想上の理論になっていますが、実際には個人ごとの物の見方、感じ方、考え方、判断基準に左右されて、同じ捉え方、解釈、分析結果にはならず、厳密な科学とは言い難いので偽の法則とも呼ばれているのです。
同じ物事を見ているのに、定義や条件、考え方、視点など、人によって結果が変動するようでは科学とは言えず、個人の考え方という条件付きの法則、つまり、仮説や学説を「科学的」として扱っています。私は、能見氏が血液型人間学に「科学」を付けなくて良かったと思っています。

科学と言えども人間の思考による以上は、個人的な考え方、理論(学説)、思想のことで、分析対象や数字などのデータをどう捉え解釈するか、何処に基準や視点を置くか、定義や条件次第で導き出される結果が違ってくるので、科学と言いながら哲学(思考方法)のことだと言えるのです。
物の見方、考え方、思考方法は一つではなく、科学もその考え方の一つに過ぎないのに、「科学的議論」しか認めないというのは、17世紀の啓蒙時代のような旧態依然とした考え方です。「論より証拠」という証拠主義は、証拠こそが物事の事実・結果であるという、証拠だけに依存した単純な考え方で、物の見方、考え方、解釈の仕方を変える哲学的思考、論理的検証を欠いています。

科学が真実を追究する絶対の方法であるかのような捉え方は、宗教的ドグマであると思います。エビデンスに基づく科学的結果だけが真理であるという思い込み、目で見た物しか信じないという盲目的科学信仰に呪縛されています。科学から得られた結果や知識を無批判に鵜呑みにするのではなく、それに論理的批判を加えなければ物事の本質には迫れません。
視聴覚などの感覚を通して認識している自然科学の世界というのは、人間の感覚器官にとっての感覚的事実なので、「人間にとっての科学的事実」という認識も必要になります。人間にとっての科学的事実が、万物共通の科学的事実、森羅万象の真理であるとは限らないからです。

物の見方や解釈の仕方を変える哲学的思考の達人であるユダヤ人学者は、その点を熟知しているので自然科学を偽の法則と呼んでいて、だから科学というのは、考え方や解釈の問題、つまり哲学のことでもあるのです。物の見方や視点など、条件や定義によって結果が違ってくるので。
ある一つの思想、考え方、物の見方、視点だけに囚われてはならないし、かといって考え方の方向が定まらないのも駄目で、物事の判断基準となる信念・哲学が必要になります。

科学や論理、全ての学問、宗教や政治などのイデオロギー、文化や文明、個人の性格や信念に至るまで、物を考える限り人間のあらゆる思考活動は思想なのです。科学が考え方という哲学の問題、思想の一つである以上、「血液型だけはイデオロギーから遠ざけておかなければならない」と、思想を忌避した能見氏も、やはり人間の思考の宿命であるイデオロギーからは逃れられず、血液型人間学は個人の思想が混入しない理論ではありません。個人の物の見方、感じ方、考え方という思想(性格)に左右されない客観的な思考などというものは理想論に過ぎません。ただ、思想にも良し悪しがあるということです。

そして、血液型人間学を人間教育や社会に活かそうとする考え方、同じ価値観を共有する人たちも思想集団であり、現在では、血液型で決め付けるという「差別を助長する非科学的な迷信」扱いされて、能見氏が懸念したイデオロギー問題のようになっています。否定派という思想集団との、科学を巡るイデオロギー衝突と言えますが、考え方の相違による衝突は、一対一の個人レベルに至るまで人間の持つ習性・宿命です。やはり人間の精神という心的世界を追究していくと、物の見方、考え方、解釈、認識という思想的、哲学的な思考になっていくので、物事には様々な視点や考え方があり、それこそが人間の習性、性格、思考の類型、つまり人間の心とは思想のことだと気付く訳です。

人間の精神は性格という思考パターン=思想で出来ているので、物の見方、考え方、捉え方、解釈の仕方を変える哲学的思考が出来ないと、人間や社会のことは分からないと思います。人の世は思想という観念で出来ていて、人間社会を満たしている空気のようなものですが、太宰治が「人間というものが分からない」と表現した心の距離感の本質ではないかと思います。AB型は、自らの肉体が存在する空間・自然界との精神的繋がりが抑制されているので、血液型のように、人間の思考パターン=思想を理解すれば、その距離感も少しは近づくのではないかと思います。思想を理解するには哲学的思考が必要ですが、AB型に自分の考え方とか意思とか、精神論とかの哲学的な世界は余り似合わない気がします(笑)。

思想は人間の精神に多大な影響を与えていて、道徳も思想の一つであり宗教はその道徳を説いていますが、個人の信念や主義などの基になる思想は、人間の心の在り方・精神的支柱と言えます。宗教が人間に一応の道徳心を与えているのも確かですが、排他的宗教や共産主義などの誤った思想が、人間の精神を狂わせているのは明らかなので、思想は人間が行動するための指針と言えましょうか。人間の精神を健全に保つためには、羅針盤となる思考の方向性、良い思想が必要だということを暗示していると思います。

考え方、解釈の仕方が食い違うのは、個人によって判断基準が異なるからですが、その基準となる同じ思想を皆が持てば、人間を同じ考え方に染め上げることが可能です。常識や価値観といった社会通念は国民が共有する思想なので、そこに人権・平等・平和・環境のリベラリズムが入り込めば、皆が同じことを言う「科学的」な社会の常識・価値観となり、全体主義(共産主義)的に思考を共有するようになります。ユダヤ謹製のSNSなどは、共産主義的な発想である「共有」の概念を広める洗脳ツールで、共存共栄だの連帯などという共産主義は、人民の頭を同じ思想で洗脳するための搾取支配体制です。そう考えると、誰もが同じ結果・考え方になるという科学は、とても共産主義的なユダヤの発想ですね。いや、皆が同じ結果になるという科学的思考から共産主義を思い付いたと言うべきか。

LGBTや外国人、少数弱者への差別はいけないとか、多様性・国際化(グローバリズム)とか、男女平等(フェミニズム)とか、家庭建設よりも女性の活躍といった、性差や家庭、社会構造を破壊するような価値観が常識や道徳となり、モラル違反をお互いに戒め、監視・密告するようなブーム・同調圧力が社会に出現しています。既に、監視カメラ・車載カメラだらけで、「煽り運転取り締まり」が社会現象になっていますが、道徳的戒律のために争いの絶えない息苦しく薄情な社会になっていくでしょう。世界一の民度を誇る?日本社会は、人権や道徳規範が高度に発達していますが、文明国ゆえの国民性を左翼に悪用されていて、低道徳の後進国では人権意識に呪縛されるなど有り得ないことです。

by 欺善者 (2019-09-27 23:39) 

ABOFAN

>科学的議論とは統計の方法と計算結果の数字について議論することなんですか?

「科学的議論」というのなら、ざっくり
1. 「反証可能」なモデルを作る
1a. モデルはなるべく数値化可能なものとする
2. モデルが現実と合っているかどうか検証する
という手順を踏みます。

欺善者さんが、1と1aに疑問があるというなら、そもそも対象が「科学的議論」には適していないということになり、これで議論は終了です(笑)。

私は、1と1aは所与のもの、たとえば心理学のモデルを使い、2は心理学のベースとなる統計学を使っています。なので、もし1と1aがダメということであれば、私に質問されても答えようがありません。心理学者に文句を言ってください(笑)。

なお、2の部分は「関係がある」ということでほぼ検証は終わっています。
by ABOFAN (2019-09-28 06:42) 

欺善者

心理学者が心の専門家なら人間の心理についてもっと語れないといけませんが、統計や数字の話ばかりしていて人間の心動き、心理についての議論が全く無いので、その無内容な「科学的議論」とやらは、人間の心について何も分かっていない証左であり、彼らが資格という定義上の専門家に過ぎないとつくづく思う訳です。なので、仰るように心理学者に文句を言うべきかも知れませんが、彼らと同じ次元の話ばかりしているshozoさんに文句を言っています(笑)

統計の数字で実証された人間の心そのものについて科学的に議論すべきだと思うので、科学的議論の対象である人間の心ではなく、統計や数字の計算について議論することが人間性の「科学的議論」なのかと問いたくなる訳です。お分かりだと思いますが、聞きたいのは統計の手法や数値そのものではなく、「血液型と性格」がテーマなのですから、「これで議論は終了」などと勝手に終了(笑)せず、人間性そのものについての議論をお願いします。

心理学者の言う「自己成就」の定義が余りに幼稚なので苦笑せざるを得ませんが、あのような捉え方、解釈ではまともな分析にはならず、彼らの思考方法では、「統計の常識をことごとく否定」する結果になってもおかしくはないと思います。そもそも心理学者の言う、定義の仕方、条件、捉え方、解釈の仕方、考え方、物の見方がおかしいのです。だから、心理学者が「血液型は偽科学」という科学自体が偽の法則であり、定義や解釈という考え方の問題=哲学のことだと思うのです。つまり、「科学的議論」って何だと言いたくなります。

科学的厳密さを求めるほど哲学的思考になり、物事には様々な物の見方、考え方、捉え方、解釈の仕方、視点があることに気付かされます。内容にもよりますが、事実は一つではないというのが物事の真実であり本質だと思うのです。従って、「誰が調べても同じ結果が出る」という科学の法則は理想論であり、科学的議論というのは、様々な物の見方、考え方の違いを議論することになるので、科学的議論という「定義」自体が思考を限定しています。結局、科学というのは仰るように「近似」であり、傾向や確率的に捉えて方向を絞っていくことではないかと思うのです。

by 欺善者 (2019-09-28 16:55) 

欺善者

人間科学というのは人間に関する現象の「法則性を追究する学問」のことですが、「物理的な自然現象の法則性」を追究する自然科学と、「人間社会の現象を支配している法則」を追究する人文科学(社会科学)があり、人間性に関する精神分析や心理学は、社会学、政治学、経済学、宗教・思想学、哲学、文化学、歴史学、民族学などと同じ、「文化・社会現象に関する学問」=人文科学に分類されているものの、現在では自然現象を対象とする自然科学の統計的・実験的手法だけで語られているのではないかと思います。

能見氏に言わせれば、人文科学などは科学ではないということなのか、自然科学の考え方だけに拘り続け、人間の精神的現象だけでなく、政治、社会現象、文化、歴史など、人間世界のあらゆる現象を自然科学だけで説明しようとしました。人間の文化的現象は「自然の法則による自然現象」ではありませんが、「人間社会の現象を支配する法則」も血液型という自然の法則性による現象、という考え方なのでしょう。自然科学的には、皆が同じ反応を示すのなら科学的な共通性と捉えますが、それが自然の法則による現象か、後天的な文化的影響による現象かは別の話です。日本人の民族性のように。

能見説というのは、血液型ごとの類似性・共通性を「気質」として、生まれ付きの自然の法則だと捉えていましたが、それは日本という文明社会を観察した結果なので、純粋に自然の法則だけに基づく現象ではなく、既に人為的な法則による文化的色彩を帯びていて、思想・文化という人間が作った法則を含めた現象を観察していることになります。自然科学は自然の法則による自然現象が対象ですから、人工的な法則による文化現象ではないので、環境や思想などに左右されない生まれ付きの法則=「気質」が何処までなのか、厳密な定義は難しいですが、能見説の中に思想という人為的な法則性=文化現象が含まれています。

人文科学分野の多くは実験による実証が不可能なので、能見氏の言う人間生態学や人間性の学問というのは、自然科学の手法だけで構築されるべきという考え方なのかも知れません。人文学的な思想や哲学的なものを忌避していたので、人間の思考性には血液型が関与し、思想、文化、政治、社会現象、歴史、民族性まで、物理的な自然(血液型)の法則性が生み出す自然現象ということなのかも知れませんが、人文科学的視点や論理的検証を欠いた論理の飛躍だと思います。

人間社会の現象を支配する法則を挙げたらキリがなく、技術、理論、法、規範、道徳、常識、価値観、風潮、思想、習慣、伝統、文化など、世の中を動かす全ての人為的な仕組みが該当します。例えば、現代日本の政治や社会、権力、民衆を動かすものに多く共通するのは、「ユダヤ的価値観」というリベラリズムの左翼思想であり、あらゆる思想は人間社会を支配する法則です。それらは自然の法則に基づく自然現象ではないので、血液型という自然界の法則だけで人間の現象を考察するのはとんでもない誤りです。

人文科学や社会科学というのは、物理的な自然現象ではない人工的、文化的な社会現象の法則性を追究することなので、そんなものは科学ではないと言うのかも知れませんが、そもそも科学とは、諸事象を支配する「法則性を追究する学問」なのであって、物質的な自然現象を対象とする自然科学だけが科学の王道、と思い込むのは盲目的科学信仰の誤りです。人為的な法則というのは思想などの人間が生み出した法則・理論のことで、自然の法則というのは人工の法則ではない遺伝子上のプログラムのことです。

血液型の気質というのは、物質的肉体が持つ自然の性質(法則)が、文化的現象である精神にも影響を与えているということであって、自然の法則だけで人間の精神性を語るのは間違いです。実際には、肉体が持つ物理的な自然の法則と、思想という人為的な法則が混在しているので、人間の行動を考察するには、自然科学的、人文科学的な複合的視点が必要になり、分けて考えることは出来ません。

自然科学の世界では、思想や宗教、迷信などのスピリチュアル(精神)的なイメージのものは忌避されがちですが、それは自然の法則に基づく自然現象ではないということであって、人文科学的には例え理不尽で不合理であろうと、思想は人間の精神や社会現象の人為的な法則であり、「文化科学的な現象」というだけのことなので、正しくは「非自然科学的」と言うべきでしょう。

政治、経済、社会現象、文化、歴史、民族性など人間社会を動かす法則性を明らかにすることは、人間の生態、人間性を追究する人間科学でもあるのですが、自然科学というのは物質的(血液型物質や肉体も)な自然現象を対象としているので、物理的実体のない思想的、文化的な精神的産物に否定的になりがちです。なので、非合理な習慣や伝統文化といった思想を忌避するのでしょう。

心理学界が血液型を非科学的だと否定的になるのは、自然科学の手法を用いているからだと思います。元々、人文科学の分野である心理学も、現在では統計だの実験だのという物質主義的な自然科学の手法だけに依存しており、人文科学的な思想・文化の視点からは人間性を全く考察していませんが、血液型人間学界も心理学界と全く同じことをやっていて、人間の心を追究しながらスピリチュアルな心的産物の思想を非科学的として敬遠しています。血液型の法則で説明出来ない思想の法則による現象は無視していたのです。思想が人間を大きく動かしてきたことを目の当たりにしながら、自然科学で人間を制御すべきだと。

科学という定義、固定観念に縛られているのでしょうが、社会、政治、文化、歴史、思想などの人文科学的な世界というのは、論理学的に推論を積み重ねていくことが多くなります。しかし、それはエビデンスを軽視、無視しているということではなく、思想や文化とはそういう性質のものです。
「夫婦別姓」に関するTogetterの議論を拝見しましたが、数字に出来ない世界では史料に基づく史実が重要なので、仰るようにイデオロギー論争に成りようがないはずですが、証拠よりも論理を優先するかのような論調は馬鹿げたことで、推論とはそのようなことを言うのではありません。

血液型の法則性というのは、気質の類似性・共通性のことですが、思想の世界でも同じことで、人文科学的に「思考の法則性」を捉えることです。思想とは考え方のパターンであり、(正しいかは別として)論理に基づく法則性があるので、どんな考え方を持っているのか、個人の思想・信念を捉えることは推論のエビデンス、データとなるものです。人間には同じことを法則的に繰り返す習性、つまり性格という性質があるので、思考パターンを観察で蓄積していくのはデータの蓄積と全く同じことで、物の見方・考え方の法則性から人間の言動・行動が予測出来ます。

#ところで最近、URLが「so-net.ne.jp」から「ss-blog.jp」に変わった時くらいから、記事に貼り付けられている画像が多くのブラウザで表示されなくなりました。画像だけを別途開こうとしても、ページやサーバーが見付からない、サイトにアクセス出来ないなどと表示されて、表示されるのはChromeやEdgeぐらいです。

by 欺善者 (2019-10-11 20:25) 

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