SSブログ

週刊ポストで井沢氏と呉座氏が直接対決【進化心理学的な説明】 [井沢氏vs呉座氏]

前回の続きです。

なお、この記事は血液型とは直接関係がありません。

その後に、井沢-呉座論争は意外な展開を見せていますので、私自身の備忘録として書き留めておきます。次は、掲載誌の時系列順の一覧です。

【井沢元彦氏】
・5月7日発売 週刊ポスト5月17/24日号
 逆説の日本史「令和」改元記念
 井沢元彦氏 vs 本郷和人
 歴史研究家よ、行き過ぎた実証主義にとらわれるな!
(東京大学史料編纂所教授 本郷和人氏との対談)

週刊ポスト 2019年 5月17日・24日号 [雑誌]

週刊ポスト 2019年 5月17日・24日号 [雑誌]

  • 出版社/メーカー: 小学館
  • 発売日: 2019/05/07
  • メディア: Kindle版

【呉座勇一氏】
・5月10日発売 中央公論6月号
 歴史学の研究成果の重みに敬意を 俗流歴史本と対峙する
(中央公論社は呉座氏のベストセラー「応仁の乱」の版元)

中央公論 2019年 06 月号 [雑誌]

中央公論 2019年 06 月号 [雑誌]

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 2019/05/10
  • メディア: 雑誌

【井沢元彦氏】
・5月27日発売 週刊ポスト6月7日号
・6月3日発売 週刊ポスト6月14日号
(いずれも本文中に呉座氏への反論がある)

週刊ポスト 2019年 6月7日号 [雑誌]

週刊ポスト 2019年 6月7日号 [雑誌]

  • 出版社/メーカー: 小学館
  • 発売日: 2019/05/27
  • メディア: Kindle版


週刊ポスト 2019年 6月14日号 [雑誌]

週刊ポスト 2019年 6月14日号 [雑誌]

  • 出版社/メーカー: 小学館
  • 発売日: 2019/06/03
  • メディア: Kindle版

【呉座勇一氏】
・6月13日公開 現代ビジネス
「俗流歴史本」の何が問題か、歴史学者・呉座勇一が語る
 井沢元彦氏の批判に答えて

goza_gendai.JPG

ここでは、「現代ビジネス」での呉座氏の反論について考察します。

呉座氏の反論1 安土宗論
主旨は次のとおりです。

・井沢氏は逆説1227回[5月27日発売 週刊ポスト6月7日号]で、二次史料である『安土問答実録』よりも、一次史料である太田牛一の『信長公記』やルイス・フロイスの『日本史』の方が信頼できる、と反論している。だが『信長公記』や『日本史』は一次史料ではない。
歴史学における一次史料というのは、事件を見聞した当事者が事件発生とほぼ同時に作成した史料のことである。
『信長公記』は後に編纂された二次史料である。フロイスの『日本史』も同様に二次史料である。このような基本的知識すら持っていない人と史料解釈をめぐる論争をしても不毛である(後略)

確かに、一次資料、二次資料の「定義」については、呉座氏が正しく井沢氏は間違っています。
問題は、呉座氏は「一次資料」「二次資料」の定義と、井沢氏の主張「信長公記は(一次資料だから)信用できる」を(意図的に?)混同しているらしいことです。もちろん、「信長公記」が一次資料でないことと、その信頼性は別の問題です。
たとえば、Weblioにはこうあります。

二次史料は、一般に一次史料より重要性が劣るが、必ずしも信頼性に乏しいとは限らない。例えば、太田牛一の『信長公記』や小瀬甫庵の『信長記』はいずれも織田信長に関する二次史料であるが、前者が高い信頼性を有していると考えられるのに対し、後者は史料としての価値はほとんどないとされる。

なお、井沢氏の元々の主張は、4月20日の記事に書いたとおりです。

この点について、呉座氏の反論(=安土宗論は八百長である)と井沢氏の再反論(=断じて八百長ではない)は、5月27日発売の週刊ポスト6月7日号にあります。要旨だけ紹介しておくと、

呉座氏の反論

・井沢氏は歴史学者でも無いくせに口を出すな
・東洋大学教授の神田千里氏は著書『戦国乱世を生きる力 日本の中世11』(中央公論新社刊 2002年)で、『信長公記』と『安土問答実録』の双方を活かし、両論併記的に叙述している。(「井沢元彦氏の『公開質問状』に答える」本誌[週刊ポスト]3月29日号→この部分はすっかり見落としていました[たらーっ(汗)]

戦国乱世を生きる力   日本の中世〈11〉

戦国乱世を生きる力 日本の中世〈11〉

  • 作者: 神田 千里
  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 2002/09
  • メディア: 単行本

井沢氏の再反論

・公開討論の場の不公正な判定で「宗教団体」を「敗北」させればその団体をコントロールできるなどと考えるのは正気の沙汰では無い。
・仮に八百長説が正しかったとすると、法華経の「上層部」は不正に屈して信長への「降伏文書」にサインしたことになる。
・だったら、必ず不満を抱く人間が反乱を起こすはずである。しかし、この上層部の措置について反乱は起こらなかった。
・だから、討論で負けたことは残念ながら(公開されていたこともあり)認めざるを得なかったというのが合理的な解釈である。

私は、井沢氏の見解が正しいと思います。
なぜなら、今回の井沢氏と呉座氏の「公開討論」で、歴史学の最高権威とも言える「東京大学史料編纂所教授」の本郷和人氏が井沢氏寄りの態度を見せても、呉座氏は従っていないからです(苦笑)。

ただし、これでは納得しない人もいるでしょうから、私が決定的な証拠を出しておきましょう(笑)。

呉座氏の主張は、「一次資料」の方が「二次資料」より信頼性が高いということが無言の前提となっています。
なぜなら、達筆の毛筆で書かれたような歴史的な「一次資料」を読めなくともいいというなら、歴史学者と在野の歴史研究者の立場は差がなくなって平等になってしまうからです。
言い換えれば、「二次資料」と「一次資料」の信頼度が変わらないとするなら、氏の反論の前提が崩れてしまうことになります。

では、呉座氏の「安土宗論八百長説」の根拠は何でしょうか?
これは既に書いたとおりで、東洋大学教授の神田千里氏の著書『戦国乱世を生きる力 日本の中世11』です。

東洋大学教授の神田千里氏は著書『戦国乱世を生きる力 日本の中世11』(中央公論新社刊 2002年)で、『信長公記』と『安土問答実録』の双方を活かし、両論併記的に叙述している。(「井沢元彦氏の『公開質問状』に答える」本誌[週刊ポスト]3月29日号)

ところで、神田千里氏の『戦国乱世を生きる力 日本の中世11』は何次資料でしょう?
『信長公記』は二次史料、『安土問答実録』は一次資料ですから、神田千里氏の著書が二次資料であることは確実です。
つまり、歴史学者が書いたなら二次資料でも信用できるということですから、「一次資料」だからといって必ずしも「二次資料」より信頼性が高いとは言えないというのが呉座氏の見解ということになります。

ところが、一次資料である『安土問答実録』について、井沢氏はこう書いています。(逆説の日本史第10巻)

法華宗が書かされた「詫証文」には[『安土問答実録』の著者とされる安土宗論の当事者である]日淵という名が載せられていない

ということですから、この一次資料の信頼性は???です。

つまり、呉座氏の主張の根拠はもっばら二次資料に頼っていて、一次資料の信頼性もチェックしていないということです。

呉座氏には少々失礼な言い方になりますが、開いた口がふさがらないとはこのことです![バッド(下向き矢印)]

余談ですが、歴史資料に限らず、呉座氏は一次資料の信頼性をチェックしていないのかもしれません。お暇な方は、「山崎行太郎」「呉座勇一」「バッシング」で検索してみてください。なお、情報の信頼性は各自ご判断ください。


呉座氏の反論2 古代の首都移転

この点については、呉座氏は自身の主張の誤りを絶対に認めないという態度で一貫しているようです。
彼の主張のポイントは、

考古学の発掘調査の進展の結果、持統天皇が即位する以前、飛鳥時代の後半には大王(天皇)の正宮が飛鳥京に固定化していたことが明らかになった。

ですが、これはWikipediaで調べてもわかるような、極めて初歩的な事実誤認です。

事実は、5月3日の記事のとおりで、火災による遷宮を除くと、最初の飛鳥宮である飛鳥岡本宮に遷宮(630年)してから藤原京に遷宮(694年)するまでの65年間に、飛鳥以外に宮があったのは百済宮(1年)、難波宮(10年)、朝倉橘広庭宮(1年)、近江大津宮(7年)の計19年、つまり全体の約30%の期間となります。
火災により遷宮した期間を考慮すると、全体の期間の約4割は首都が固定されていなかったことになります。

呉座氏は、どうやらこの「事実」を黙認しているらしく、中央公論6月号(5月10日発売)には具体的な遷宮先は期間は何も書いてありません。

これまた開いた口がふさがりません。[バッド(下向き矢印)]

閑話休題。

私のような在野の人間にどうしても理解出来ないのは、呉座氏ともあろう「正統」な歴史学者が、なぜここまで事実を無視するかです。
(この態度は、「血液型と性格」で統計学をガン無視する心理学者や疑似科学批判者[注:疑似科学支持者ではありません]とも共通します)
唯一合理的な説明は、呉座氏にとっては「事実」より大事な(宗教的なバックグラウンドを持った?)何かがあるということです。
それは、井沢元彦氏の受け売りですが、朱子学的ものなのかもしれません。

意外なことに、ネット上では井沢氏を支持する人は少数派で、圧倒的に多いのは(事実誤認が多い)呉座氏の支持者です。
では、なぜそう非合理的な言説を信じる人が多いのでしょうか?
ひょっとして、進化心理学的に説明できるのではないかと思って、入門書を何冊か読んでいます。

たとえば、池田信夫氏ブログには社会生物学から進化心理学という記事があります。

人類の場合は、600万年の歴史の大部分が狩猟採集社会だったので、今では無意味な集団行動が発達している。たとえば宗教には現実的な利益はないが、どこの社会でも普遍的にみられる。これは何かを信じて集団を守る感情の強い個体が、狩猟採集社会の集団淘汰で生き残ったためと思われる。このように人間の行動を進化で説明するのが進化心理学で、さまざまな分野に影響を与えている…

やはり、人間は生物の宿命からは逃れられないのでしょうか…ね。

【追記】
念のため、私は呉座氏の専門である中世の歴史に関する論考には敬意を払いますし尊重もします。
ただ、今回のように「正義」を正面切って持ち出された場合は、少々疑いの目でみることにしています。疑似科学批判と同じで、山本七平氏の言うように、正義は「汚れた布」だからです。
願わくは、今回の呉座氏の論考が「汚れた布」ではありませんように。


コメント(1) 

コメント 1

欺善者

>ネット上では井沢氏を支持する人は少数派
>なぜそう非合理的な言説を信じる人が多い

目に見える現象に囚われ振り回されているようですが、やはり、視聴覚的世界を現実だと認識しやすいのでしょうか。「ネット上」とは、恐らくはTwitterやFacebook、Youtubeなどのことでしょうが、そんなものは全てユダヤ謹製で、当たり前のように検閲、言論統制、情報操作されています。南鮮製のLINEも同様でプライバシーなどはありません。
去年辺りから、都合の悪いアカウントの凍結や、動画の削除が相次いでおり、免れたとしてもタイムラインに表示されないようになっていて、ツイートが表示出来ない、利用出来ない、と表示されることが多くなりました。マスコミの世論調査などと同じで、情報操作されています。

呉座勇一の本が何十万部も売れたことに対し、山崎行太郎が疑問を呈していましたが、アマゾンの「ベストセラー1位」とか、レビューにもヤラセがあり、その基準や数字は信用出来るものではありません。都合の悪い出版物は抹殺されていくことが既に常識となっていますので、一度調べてみては如何でしょうか。勿論、個人の判断基準に左右されて自己流の解釈になるのは避けられないですが、アンテナの感度次第かと。

保守言論人は、呉座勇一などの左翼学者の批判はしても、論争などでやり合うことは滅多に無く、従って、彼らの言動に振り回されることは余り無いと思いますが、左翼と議論したところで不毛であり全く無駄なのです。左翼の唯物主義者は、道徳心や恥の意識といった、人間性や精神的なものが欠落しているので、国民の血税を食い物にしようが罪悪感などはありません。

呉座にとって事実より大事な何かがある、というのは、エリート学者としての特権的(支配的)な地位、としか言いようがありません。左翼思想・共産主義というのは、どのような手を使ってでも人民を騙すことです。学問的にデタラメだろうが、嘘がバレようが一切関係ありません。
かつてのソビエトや、支那、北朝鮮を支配する「プロレタリア独裁」の特権階級を見れば分かりますが、ユダヤ人の作った共産主義の「平等思想」という虚構を真に受けて、(言葉の上で)矛盾していると怒っても仕方がないのです。

左翼や共産主義の認識が甘い井沢元彦が、歴史学界を「朱子学」で説明し、呉座勇一と論争したところで仕方がなく、そんなところに真摯な学問などは存在しません。マーヴィン・トケイヤーと対談したからといって、彼には世界情勢やユダヤ人のことなど何も分かっていません。宗教指導者に話を聞けば真実が分かると短絡的に考えるのはとんでもない誤りで、本当のことなど話す訳がありません。見えるところに真実などは無いのです。

by 欺善者 (2019-06-16 08:37) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

Facebook コメント