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週刊ポストで井沢氏と呉座氏が直接対決【おまけのおまけ】 [井沢氏vs呉座氏]

前々回の続きです。

なお、この記事は、直接血液型とは関係がありません。

週刊ポスト 2019年 4/19 号 [雑誌]

週刊ポスト 2019年 4/19 号 [雑誌]

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 小学館
  • 発売日: 2019/04/08
  • メディア: 雑誌

4月8日発売の「週刊ポスト」4月19日号に呉座勇一氏の井沢元彦さんへの再反論が掲載されました。
ところが、この記事での呉座勇一氏の主張は、ことごとく間違っていることがわかりました。

たとえば、古代の首都移転(天皇の代替わりのたびに首都移転をする「歴代遷宮」)については、呉座氏は次のとおり反論しています。

【反論1】 井沢氏の「死のケガレ」によるとする説(以前は歴史学にそういう説もあった)には致命的な欠陥がある。飛鳥時代の飛鳥岡本宮、飛鳥板蓋宮、後飛鳥岡本宮、飛鳥浄御原宮は同じ場所だ。つまり「死のケガレ」のある場所に遷宮している。

前々回の記事で調べたのは飛鳥時代限定だったのですが、初代神武天皇から「平安京」に遷都し首都が固定した第50代桓武天皇まで全部調べてみました。
なお、ソースはWipipediaです。
結果は次のとおりで、遷宮先が先代の崩御地と同じなのは、持統天皇になってから(表の黄色部分)のケースのみとなります。
それ以前には、先代の崩御地に遷宮した例は1件もありません!

つまり、井沢元彦さんの言うとおり、「持統天皇の宗教改革」で、死穢を克服したという説明のほうが説得力があるということになります。

GOZA9.JPG
(※は同じ場所)

【反論2】当時は妻問婚である。遷宮は息子(次代の天皇)が以前から住んでいた邸宅(王子宮)が新たな「宮」となったと考えるべき。

こちらも、よしぼうさんとの議論の結果を示しておきます。

YOSIBO3.JPG

結論として、上の表にあるように、初代神武天皇から第40代天武天皇の40人のうち、4人(安閑、反正、雄略、武烈)が皇子宮(王子宮)に遷宮し、他は違うということになりました(持統天皇以降は「首都固定」なので、数えても意味がない)。
全体の40人中4人ということは、全体のわずか10%にしか過ぎないのです。
実在が確実視される第26代継体天皇以降に限ると、15人中たった1人だけです。
つまり、皇子宮に遷宮したというのは、かなりの例外ということになります。

【反論3】 歴代遷宮が廃れて首都が固定されるにようになったのは、常識的に考えると、「宮」が中央官庁などの政府機構を備えたものに拡張されるようになり、大規模な建物を毎回新規造営すると非常に効率が悪くなったためだろう。

仁藤敦史氏の「都はなぜ移るのか」にも、そういう説が主流だとあります。

都はなぜ移るのか: 遷都の古代史 (歴史文化ライブラリー)

都はなぜ移るのか: 遷都の古代史 (歴史文化ライブラリー)

  • 作者: 仁藤 敦史
  • 出版社/メーカー: 吉川弘文館
  • 発売日: 2011/11/21
  • メディア: 単行本

七世紀末の藤原京以前には、「歴代遷宮」といって、大王(おおきみ)の代が替わると同時に、必ず宮の移動がなされている。p12

考古学的な発掘成果に基づいた、日本古代の都城制の成立とその発展過程の研究視角として、宮や京の平面配置の変遷を律令制的宮司機構の成立過程に対応させて、制度史的に考察しようとする方法があり、大きな成果をあげて、これが現在の都城制研究の主流を占めている。p15

ただ、仁藤氏も指摘するように、この考え方は「鶏が先か卵が先か」と同じで、おかしいともあります。通説とは逆に、首都を固定したから経済効率が上がったのかもしれません。

当時の中国は隋と唐ですから、既に首都を固定しているわけです。
遣隋使や遣唐使で、当時の朝廷がそういう情報を知らないはずがありません。
よって、経済的効率を重視するなら、もっと早く首都が固定してもよいはずで、持統天皇から突如首都移転をやめたのには、何か別な大きな理由がないと不自然です。

もちろん、この本にはこうあります。

極論すれば、中国では秦・漢帝国以降は、すべて律令制と都城制が国家統治の基本となっており、邪馬台国や倭の五王の時代など中国と交渉を持った時代には、これらを導入することは同時代的には可能であった。にもかかわらず、そうならずに七世紀後半になって律令化と都城制が急激に導入されたことの意味が問われなければならない。p15

余談ですが、呉座氏の今回のネタ本は、「古代の首都移転」をわかりやすくコンパクトにまとめているこの本の可能性が高そうです。
#呉座氏の専門は「古代史」ではなく「中世史」です。

なぜなら、週刊ポスト3月29日号では、古代の首都移転についての井沢説には「科学的根拠がまったくないから論評の必要は無い」とまで言っているのに、1ヶ月もたたない4月19日号の記事で(突如?)反論を開始するのは、少々不可解だからです。

この本によると、反論1の死の「ケガレのせい」というのは久米邦武氏の説、反論2は本居宣長の説、反論3は喜田貞吉氏の説で、いずれもp17に紹介されており、内容もぴったり一致します。
また、NDL-Searchで文献を検索してみると、歴史学では一般的に「皇子宮」と呼んでいますが、この本では珍しく「王子宮」を使っていて、こちらも一致します。

呉座氏は、時間がなかったせいなのかどうか、上の私が作った表のように実際のデータを調べた形跡はありません。
というのは、反論1~3の現実のデータを見たなら、呉座氏の主張に納得する人は(本人も含め?)ほとんどいないと思われるからです。
もちろん、この仁藤氏の本にも、そんな一覧表はないのです…。[たらーっ(汗)]
本当はどうなのでしょうか?

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