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疑似科学批判はエンターテイメント(娯楽)である [新刊情報]

疑似科学批判本は堅調に売れています。

「ニセ医学」に騙されないために   危険な反医療論や治療法、健康法から身を守る!

「ニセ医学」に騙されないために 危険な反医療論や治療法、健康法から身を守る!

  • 作者: NATROM
  • 出版社/メーカー: メタモル出版
  • 発売日: 2014/06/25
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)


例えば、以前に取り上げたNATROMさんの『「ニセ医学」に騙されないために』が典型です(続編はこちら)。
この本は面白いし、確かに売れています。文章も、私などとは比較にならないほど上手い(苦笑)。たぶん、多くの科学的な解説は正しいのでしょう。

しかし、“グレー”と思われる部分は見事に避けているようにも思えます。
例えば、つい最近になって主流だと見なされるようになった「糖質制限」は全く取り上げていませんし、「血液型と性格」に至っては、あえて統計的な論点(差があるどうか)をボカしているように見えます。
ただ、それでも“絶賛”する人は多いようで、それはAmazonのランキングを見れば明らかです。

なぜここまで「疑似科学批判」の人気があるのかわからなかったのですが、橘玲さんの『「読まなくてもいい本」の読書案内』を読んでいてハッと気が付きました。

「読まなくてもいい本」の読書案内:知の最前線を5日間で探検する (単行本)

「読まなくてもいい本」の読書案内:知の最前線を5日間で探検する (単行本)

  • 作者: 橘 玲
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2015/11/26
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)


最新の脳科学研究によると、「正義は娯楽(エンタテイメント)である。」と簡単に定義できるということです。
著者によると、復讐や報復を考えているときに活性化している脳の部位は、「快楽を感じている部分と極めて近い」ということがわかったのだそうです。つまり、人間は正義の行使に快感を感じるということなのです。
これを進化論的にいうと、せっかく苦労して得た獲物を仲間に奪われても抵抗しないような“人がいい”個体は、生存競争に生き残れないというです。結果として、現在まで残っているのは、必ず復讐や報復する遺伝子を持っている人々だけということになります。

疑似科学批判は、している本人にとっては間違いなく「正義」です。このことから、疑似科学批判は、ある種のエンターテイメント(娯楽)であるということになります。書店に行けば、エンタメの本は目立つコーナーに大量に山積みになっているのは言うまでもありません。
医学者であるNATROMさんなら、こんなことはがわからないはずもありません。だから、エンターテイメント性に劣る“グレー”な部分はあえて説明しないし、同じ理由で読者におなじみの学説が否定されそうなことも説明しないわけで、そういう意味では卓越したエンターテイナーと言っていいでしょう。

「正義」にはそういう性質があるということは、過去からわかっていたようで、故・山本七平氏は著書「日本教について」でこう書いています。
「われわれの正しい行ないは、ことごとく汚れた衣のようである」と。これは日本聖書協会の訳ですが、非常に下手な訳で意味がよく通じません。英訳は All our righteousness are as filthy rags.(すべてわれらの義は涜れた布切れの如し)で、ほぼこの意味ですが、原語はさらに強烈であって、この「涜れた布切れ」とは、実は、月経時のあてぎれの意味です。従って、今の日本人に最も適切と思われる表現になおせば「人間の正義は使用ずみのアンネ・ナプキンに等し」[注:現在ではアンネはあまりポピュラーではないでしょう…]となります。 しかし意味はこの語感よりはるかに強い。というのは、古代にはいずれの民族にも、経血は人を涜すという迷信があったからです。
日本教について イザヤ・ベンダサン(山本七平)
正義の使い方を一歩間違えると、カルト宗教になってしまいます。疑似科学批判は、一種のエンターテイメントと考えると、そこまでの影響力はないでしょうが、少なくとも「正義」を全面に出すのは止めてほしいものです。それよりは、「エビデンス」でしょう。

前回の小保方本のエントリーも、STAP細胞の存在を知らしめることは「正義」である、と考えると納得できるような気がします。
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