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「疑似科学とされるものの科学性評定サイト」の科学性評定《信州大菊池教授が登場》 [Gijika.com]

前回の続きです。
5/13の更新では、新たな共同研究員として、信州大の菊池聡教授が加わったようです。
そこで、過去に彼から回答がもらえなかった質問を、No.208と209でもう一度してみることにしました。今回はどうでしょうか?

錯覚の科学 (放送大学教材)

錯覚の科学 (放送大学教材)

  • 作者: 菊池 聡
  • 出版社/メーカー: 放送大学教育振興会
  • 発売日: 2014/03
  • メディア: 単行本

なぜ疑似科学を信じるのか: 思い込みが生みだすニセの科学 (DOJIN選書)

なぜ疑似科学を信じるのか: 思い込みが生みだすニセの科学 (DOJIN選書)

  • 作者: 菊池 聡
  • 出版社/メーカー: 化学同人
  • 発売日: 2012/10/19
  • メディア: 単行本

■5/12 0:34 投稿No.207[5/14 23:00現在未掲載][5/20 17:45掲載]

回答ありがとうございます。では、順にコメントして行きます。
>>特に反論のなかった次の3つの論文の解釈については、私に同意したものと判断しますのでよろしくお願いします。
>--??”解釈”されるのは結構ですが、論文に書かれている論旨とABOFANさんの”主張”には大変な乖離があります、とご指摘さしあげたのですが??
――直球を投げるとかわされる(苦笑)ようなので、今回はやや別の方向からボールを投げてみます。次の文章は、山本七平氏の『ある異常体験者の偏見』p132 聖トマスの不信からの引用です。
>「事実論」は思想・信条には関係ないから、「事実論」を思想・信条を基にして批判してはならない――という原則は、やはり新約聖書の時代からあるのだと思う。というのは「トマスの不信」という面白い話が出てくるからである。/「イエス・キリスト復活伝説」を知らない人はいないであろうし、今でも世界の多くの国で復活祭が祝われている。/ところが、イエスが処刑されて数日たって「イエスは生きかえった」という噂が広まり、それを「事実」とするムードが盛りあがったとき、弟子の一人であるトマスが言った、「私は(イエスの)その手に(十字架に釘づけされた)釘あとを見、自分の指をその釘あと(の穴)にさし入れ、自分の手をそのわきにさし入れて(槍でつかれたあとを調べて)みなければ、決して信じない」と。
>――非常に面白いことに、聖書は、このトマスの態度を少しも非難していないのである。/彼らにとっては、そう思ったら、そういうのが当然なのである。/まして、「そんなことを言うやつは、イエスの弟子とは認めない」といったり、やれ不敬だの、不信仰だのといった罵詈讒謗を加えた、などという記録は全くなく、淡々と、これまたそう書いてあるだけである。
ご存じのように、トマスはキリスト教圏ではポピュラーな名前であり、有名なトマス・エジソンのファーストネームも、この聖トマスのように正直であれという親の思いが込められています。私はキリスト教徒ではありませんが、今までの投稿の目的はこの「聖トマスの不信」のとおりです。統計データに血液型による差があるかどうかは、「血液型性格診断」の肯定・否定の立場とは何の関係もありません。同様に、「論文に書かれている論旨」や「ABOFANさんの“主張”」とも直接の関係はありません。論文の論旨がどうだろうが、私は単に「統計データに血液型による差がある」事実を事実として提示しているだけであり、それ以外の意図はないのです。念のため、前回の私の投稿を再掲しておきます。
>実際の山岡氏のデータ、例えば「だめな大人にならないための心理学」のp48にも、「28項目のうち血液型による差が見られたのは全体[血液型性格の知識があり信じている群とあまり知識が無くあまり信じていない群の合計]で8項目」とあります。従って、1)山岡氏の「文脈」による解釈 2)ご紹介の書評 3)私の解釈は、少なくとも「統計データに有意な差があるかどうか」に限ってはすべて一致しています。
繰り返しになりますが、1)2)3)は全て「山岡氏のデータには血液型により統計的に有意な差が見られた」ですから、管理者さんのおっしゃるように「論文に書かれている論旨とABOFANさんの“主張”には大変な乖離」があるとなぜ解釈できるのか―トマスの不信ではありませんが―私には全く理解できません。
>「語句説明」とは血液型性格診断の一般的な”概念定義”を端的に述べたものであり、「データの再現性」とは実証実験における再現性についてのべております。
――前者はそのとおりでしょう。しかし、後者の後半部分はそうではありません。念のため、該当部分をもう一度引用します。
>語句説明 血液型性格診断言説では、上記の血液型の4区分を元に、客観的に判別可能なまでにヒトの性格や相性まで見分けることができると主張している。
>データの再現性 血液型性格診断におけるデータの再現性で特筆すべきことは、この主張が「どの程度の診断が行えるか」を明言してないことである。
前者では、血液型性格診断の主張は「客観的に判別可能なまでにヒトの性格や相性まで見分けることができる」とあります。しかし、後者の後半部分には『この主張が「どの程度の診断が行えるか」を明言してない』とあり、この部分は「実証実験における再現性」とは特に関係がありません。よって、明らかにこの「語句説明」と「データの再現性」の記述は矛盾することになります。よろしいでしょうか?
>しかし、たとえばABOセンターページにおいて、…8. 血液型は誰もが客観的な人間理解を可能にする、科学的観察手法である。…仮にこれを血液型性格診断の”概念定義”の標榜とするならば、これ、8とほかの項目、明らかに矛盾してますよね?
――これは「血液型人間学」を正確に理解しているとするなら、特に矛盾する記述ではありません。性格の分類基準としては、心理学の性格検査(=自己報告)のような「主観的」なものは適切でなく、自然科学的に決定できる血液型なら「客観的」だから妥当だという意味です。今回は残念ながら発見できなかったのですが、過去のABOセンターのサイトには「血液型物質は、人間を含めた生物全ての、材質の違いを示している、今のところ唯一とも言える客観的な基準です。」といった説明が掲載されていました。能見正比古氏の『血液型人間学』シリーズにも同じ趣旨の説明がありますので、参考までに付記しておきます。
以上のことから、率直に申し上げると、管理者さんが「血液型性格診断」をきちんと理解しているのかどうか、私はかなり大きな疑問を持っています。
ところで、ご紹介の動画の作者であるKumicitさん(当時)は、血液型で使うようなノンパラメトリック検定を正確には理解していませんでした。理解できないものを批判するといった大それたことは、小心者の私には到底真似できるものではありません(苦笑)。詳細は次の私のブログをご覧ください。
面白いブログ「忘却からの帰還」の間違いを発見!(続々々々) http://abofan.blog.so-net.ne.jp/2008-10-24-1
余談ですが、過去に何回も統計ネタを管理者さんに振ったところ、現在まで見事に全部スルー(!!)されました。ですので、管理者さんは統計が大の苦手な純粋な文系なのだと勝手に推察しています。まともな議論で、流石にここまで全部スルーされた経験はほとんどない(kikulogの菊池さんぐらい?)ので…。
またまた余談ですが、最近読んだ山口周氏の『外資系コンサルの知的生産術』に、こんな話が紹介されていました。トップクラスのMBAを持っている才媛が入社したときのエピソードなのだそうです。
「だって、○○先生は、この分野の世界的な権威で、すごく尊敬されているんです。その先生がそういうんだから間違いありません」→「いや、その先生が高名かどうかはどうでもよくて、君自身はどうしてこれが正解だと思ったのか、その根拠を聞きたいんだけれど…」…(以下、繰り返し・笑)
『血液型人間学』の提唱者である能見正比古氏は東大工学部卒です。彼の学歴だけ見れば「権威」と言えないこともないですが、実際には本人も周囲も全くそう思っていませんでした。これに対して、管理者さんにとって心理学者は「権威」かもしれませんが、私は心理学者やその論文の多くは「権威」ではありません(特に日本語の論文は間違いが多くて…苦笑)。今後もあくまで、「聖トマスの不信」で行くつもりです。どうかよろしくお願いします。
長文大変失礼しました。

■5/13 23:49 投稿No.208[5/14 23:00現在未掲載][5/15 22:44掲載]

前回の投稿から3日足らず[注:正しくは2日足らず]ですが、まだ掲載されていないところを見ると、最近の管理者さんはお忙しいのでしょうか? もちろん、咎め立てするつもりは毛頭ありませんので、気にしないでください。
さて、今回の2015.5.13付け更新情報で大変驚いたのは―見落としでないとすれば―新たな共同研究員として、信州大の菊池聡教授が加わったことです。私が非常に気になっているのは、2005年頃を境にして―少なくとも統計データについては―彼の主張が正反対になったように見えることです。具体的には、血液型によって統計データに差が出ていることを“事実上認めてしまった(?)”ような内容の文章が散見されます。
《以前の主張》現実の統計データを分析しても血液型による差は認められない→血液型と性格には関係がない
《現在の主張》具体的な統計データや数値には一切触れない(=血液型性格論者が言うような「診断力のある差異はない」)→「診断力のある差異はある」のかどうかについては“回答拒否”
念のため、以前の主張の典型である月刊『百科』(1998年 不可思議現象心理学9 血液型信仰のナゾ-後編)から引用します。
>ただ、最近は血液型性格判断を撲滅しようという意識ばかりが先走って、適切でない批判をする人も散見される。/…「A型なのに、ぜんぜん凡帳面じゃない人はいっぱいいる」というように、血液型性格学に対する反証例を挙げる批判法。これも「身の回りの人が当てはまるから信じる」というのと同じ誤った考え方である。血液型学に限らず、おおよそすべての性格理論は統計的なものであって、集団全体の傾向としてしかとらえられない。たとえば筋肉を使った運動能力は女性よりも男性の方が優れていることに誰も異論はないと思うが、それでも特定の男性を取り上げれば、平均的な女性より力が弱い人はざらにいるだろう。
>必要なのは個々の事例ではなく、統計的な事実なのである。/いずれにせよ、血液型性格判断はなぜ虚偽なのか、これは提唱者が言うような性格の差が、現実に信頼できる統計データとして見あたらないという点につきる。
しかし、彼の現在の主張には、具体的な統計データや数値は「一切」登場しません。例えば、彼が講師を務めた放送大学「錯覚の科学('14)」テキストでの血液型性格判断の記述、そして授業としての放送が典型です。
余談ですが、2014年7月28日9時からの放送大学「錯覚の科学('14)」第13回「科学的思考と錯覚」では、初回に放送された血液型性格判断の批判部分に間違いがあり、訂正放送になりました。初回の放送は2014年7月4日16時からでした。差し替えになった部分は、大村政男さんの「ラベル付け替え」の実験です。
この実験は、別の血液型の特徴を、その血液型と言って示すと信じてしまうので、血液型と性格が関連する「科学的な根拠はない」というものです。初回の放送では、パネルによる説明で、本当の特徴のO型とAB型が逆になっていたのです。単純ミスなのだろうと思いますが、誰も気が付かなかったのでしょうか? 訂正放送では、この「ラベル付け替え」の実験の説明が全て削除されてしまいました。全部削除する必要はなかったのではないかと(私は)思うのですが…。
ということで、虫のよいお願いで大変恐縮ですが、管理者さんから菊池聡氏本人に、上の私の説明どおり彼の主張が変化したことを確認できるとすれば、相当議論が進展すると思います。お手数ですが、どうぞよろしくお願いします。

■5/14 22:48 投稿No.209[5/14 23:00現在未掲載][5/20 17:45掲載]

以前の投稿がなかなか掲載されないようですが、次々に疑問が沸いてきましたので投稿を続けます。どうかよろしくお願いします。
さて、今回の更新で新たに参考文献として加わった、信州大学菊池聡教授の「なぜ疑似科学を信じるのか」には、非常に“奇妙”な記述が見受けられます。具体的には、次のp143の文章です。
>性格理論や調査法について専門的な訓練を受けた研究者が、それなりに実績のある複数の方法で、多方面から独立に調査した結果、軒並みに[統計的に有意な差が]何も出ないのである。
その「何も出ない」例として、p143には―このサイトの参考文献にある―松井豊氏(1991)の「血液型による性格の相違に関する統計的検討」が取り上げられています。ここまではまだ理解できます。ところが―何と驚くべきことに―p154には真逆の「統計的に有意な差が明確に出た」研究が堂々と紹介されているのです! それは、このサイトにも紹介されている、坂元章氏(2004)の「Blood-typical personality stereotypes and self-fulfilling prophecy」のベースとなった日本語の論文です(内容は2004年の英語版とほぼ同です)。
p154から引用しておくと「1978年から88年まで間に、A型の人は自分がA型的な性格と回答するようになり、一方でB型の人はわずかながら自分をB型的な性格だと回答する傾向が徐々に強くなってきたことを明らかにした」のだそうです。実は、以前にこの点を菊池教授に質問したことがあり、その当時は松井豊氏と坂元章氏の結論が“矛盾”していることは菊池教授自身も認めていました。こうなると、菊池教授の思考回路は全く理解不可能です…。
更に奇妙なことに、菊池聡教授はp159で山岡重行氏の主張も取り上げています(テレビ番組が増幅させる血液型差別 心理学ワールド2011年 http://www.psych.or.jp/publication/world_pdf/52/52-5.pdf)。この「心理学ワールド」の記事には、山岡氏自身の著書や論文も紹介され、当然のことながら、それらは「血液型性格判断はマスコミ情報に影響された思い込み」であるから「統計的に有意な差が明確に出た」という内容となっていました。なお、山岡重行氏の主張については、既に何回も書いているのでここでは省略します。
では、菊池聡教授は坂元氏や山岡氏の論文の内容を知らなかったのでしょうか? いや、「軒並みに何も出ない」とありますから、その可能性は極めて低いはずです。あるいは、山岡氏は「性格理論や調査法について専門的な訓練を受けた研究者」ではない(失礼!)ということでしょうか? それなら、そもそも菊池聡教授が山岡氏の研究を紹介することはあり得ません。こうなると―あまり考えたくはありませんが―最も可能性が高いのは、菊池聡教授が意図的に“ウソ”を書いていたということです。私には、他にうまい説明が見つかりません…。管理者さんはこの点についてどう思われますか?
失礼しました。
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コメント 6

ssfs

こっちの菊池氏も不勉強すぎて物の役には立たないでしょう。最近、ニセ科学に関する大学人の言が不適切だと感じる機会がとみに増えています。
by ssfs (2015-05-19 22:34) 

ABOFAN

不勉強というよりは、少なくとも統計的には関連があることはわかっているのですが、自分では認めたくないということでしょうね。
そういうのは、普通は「疑似科学」と言います。(笑)
“アカデミック”な人は、自分の間違いは認めたくないんでしょうかね。しかも、私のような“素人”の指摘なんて…。だから沈黙してしまうのだと思います。
また、上のNo.207とNo.209は一週間ぐらい経ちますが、「現在多忙のため、コメントへのレスポンスに少々時間がかかっております。ご迷惑をおかけします。」ということで、まだ掲載されていません。回答はあとでもいいので、とりあえず私の投稿だけでも掲載しておけばいいと思うんですが…。
特に、No.207は私への質問・反論に対する再反論なので、なぜ回答に時間がかかるのかわかりません。人の言うことが“間違っている”と文句を言ったところ、再反論されて返事ができないというのと同じですから…。
なんか、お役所仕事という感じですね。
by ABOFAN (2015-05-19 23:56) 

ssfs

国民の税金をつぎこんで無意味(というより有害)なことをやらかし、反省の念も向上心も持たないって、本当に困った性根です。

ときに、画像認証の文字っていつも同じですね(笑
by ssfs (2015-05-21 00:42) 

ABOFAN

まぁ、どこの世界でも、外圧でもない限りわざわざ“自己否定”なんかしないでしょう。
もっとも、“疑似科学とされるものの科学性評定”をするというなら、多少は問題かなとも思いますが、そもそも「疑似科学批判」は胡散臭いと感じている人も多いわけで…ハマる人もいますが。
そういえば、No.207と209が、前回の私のコメント投稿(5/19 23:56)の直後(5/20 17:15)に掲載されました。たぶん、管理者はこのコメントを読んでいるんじゃないですかね。(笑)
またまた話は変わりますが、「疑似科学とされるものの科学性評定」サイトの管理者はおそらく女子大生か女子院生でしょう。英語ができない、統計ができない…なんてカラかうと“セクハラ”で告発されてしまうかもしれない(笑)ので、ほどほどにしておこうと思います。
画像認証の文字は…確かにそうですね。(^^;;
by ABOFAN (2015-05-22 20:08) 

ssfs

サイトの管理担当者は山本輝太郎氏と明記されています。

2009年12月の超心理学会プログラム
http://j-spp.umin.jp/japanese/event/program/42program.html
この時点で学部の3年生であり、教員一覧に名前がありませんから、いまも大学院生だと思われます。大学院生の手に余ることをやらされているのではないでしょうか。このサイトで一番怪しいのは明らかに、超常現象を専門分野とする統括研究員の石川氏ですね。
by ssfs (2015-05-23 00:45) 

ABOFAN

情報ありがとうございます。
なるほど、そうでしたか。石川氏の経歴を見ると、東工大卒業後にパナソニックに就職し、その後に明治大学教授に転身した方のようです。アメリカで超心理学の研究もしていたようで、なかなか面白い経歴だと思われます。
サイト管理者は、山本輝太郎氏1人だけなんですかね。2009年12月時点では3年生で、大学卒業後にストレートに大学院に進学したとすると、博士課程5年目ということになりますか。しかし、彼の過去の回答(?)を読むと、サイトに紹介してある英語の論文もうまく読めないようだし、統計もさっぱりのようです。学部生ならしょうがないと思うんですが、博士課程5年目でこんなレベルなのかな…。あるいは、特別研究員なのか、既に就職しているのでしょうか?
英語の能力はともかく、統計の知識が高校生レベルというのは止めてほしいです。なにしろ、“疑似科学とされるものの科学性評定”をするのですから…。統計的検定がからきしでは話になりません。私はてっきり女子学部生と勘違いしてました(苦笑)。一般的に女子学生は(例外もありますが)数学に弱いですからね。
もちろん、サイト全体の管理を院生1人にやらせるのは(その人の経験にもよりますが)ちょっと無理でしょう。私みたいな人間にも対応しないといけませんから(笑)。
さて、この明大のサイトは来年度も存続するみたいなので、税金を使って血液型の話ができるなら、それはそれで意味があると考えます。逆に、kikulogみたいに突然閉鎖されると困りますが。科研費も申請しているでしょうからそれはないはずです。報告書も書くはずなので、せいぜい税金を有効に活用できればと考えます。
by ABOFAN (2015-05-23 21:14) 

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