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nさんとの議論が終了したようです [血液型の常識]

どうやら、nさんとの議論が終了したようです。
というのは、私の最後のコメントから、10日以上も返事がないからです。
以前はほとんど即日だったのが、2日、3日とどんどん遅くなり、そしてとうとう10日が経ってしまいました。
もう期待しても無理でしょう。

実は、否定論者の議論のパターンはだいたい同じで、議論が佳境にさしかかったところで、相手が唐突に「時間がない」と言いだし、一方的に議論が打ち切られます(=返事がもらえなくなる)。

さて、以下が未回答の部分です。
これを読んで、返事がもらえるといいのですが。
せっかくいいところなのに、本当に残念です。

************

nさん、

申し訳ありませんが、爆笑してしまいました。
いやはや、相当混乱されているようですね。

例えば、

> 坂元氏は毎年同じアンケート調査をとり続け、血液型診断がブームになった年を境に、突然血液型による性格差が有意に出るようになったことを示しました。しかも回答は、年々、それぞれの血液型における「世間一般の血液型認識」に近づいていっているのでしたっけ。それは遺伝や生物学的要因では説明が付きません。「思い込み」を支持する結果です。

ところが、直後に全く正反対の記述があります。

> だいたいテレビの影響があると有意に出る項目数が増えるべき、というのも正しくありません。「知識もなく"信じる"と答える"にわか"ファンが相対的に増えた」とか、「当時のマスコミは実は番組毎にバラバラな事を言っていた」とか、解釈は色々考えられます。

大丈夫ですか?
それとも、ブームの内容(?)によって、差が出たり出なかったりするんでしょうか?
となると、「思い込み」があるかどうかと統計的な差は無関係なんですか?
あるいは、差が出るブームかどうか、見分ける方法があるんですか?

> イグゼンプラは明らかに"後天的経験"で形成されるものです。「イグゼンプラは生来の差」なる主張は、そんな表現自体が全くトンチンカンであり、渡邊氏の論文を日本語として全く読解出来ていない証拠です。(中学生には難しいとは思いますが)高校生レベルの現代文読解力を付けてください。

「イグゼンプラ」は、自分の血液型のことなら、血液型と性格の知識のあるなしに関係なく、性格の「自己認知」によって形成される、ということでいいか思います。
となると、この「自己認知」が正しく(個人ではなく血液型ごとのグループでの比較なら)それは「生来の差」ということになります。
仮に、nさんのおっしゃるように、「生来の差」でないということなら(「思い込み」の影響によって)「自己認知」が間違っていることになります。
そして、「自己認知」が間違っているとするなら、元々のデータが信用できないということですから、nさんのおっしゃる統計自身が否定されることになります。

こうなると、もう笑うしかありません。

> 「条件と質問方法によっては血液型による有意差が見いだされる」という点は、私と貴方との間で1ヶ月以上前にとっくに合意済みの話題であり、何故蒸し返しているでしょう。

ありがとうございます。

> 貴方はどう見ても「自己成就効果は当然ある」という立場だったと思うのですが。

ひょっとして、理解したくないのでしょうか?
念のため、

4. 否定論者のいう意味での「思い込み」は存在しない
5. しかし、「関係がある」(全体の約7割)と思う人が血液型別の性格の差に気付くことによって、見かけ上の(回答率の)差は大きくなる(「関係がない」と思う人の数倍?)
6. 従って、そういう意味なら「思い込み」は存在する
血液型と性格の常識(6)
[http://abofan.blog.so-net.ne.jp/2013-08-10]

ということで、nさんは本気で書いてますか?

話は変わりますが、ここで、山本七平さんのいう「なるなる論」を思い出しました。
それは、昔々のことですが、大学で火事があったら消防を構内に入れていいか、という問題です。
あまりにも馬鹿馬鹿しい話ですが、学生運動が華やかなりしときは、大学の自治が侵害されるから「ダメ」だったそうです(笑)。
というのは、大学で火事があったら消防を構内に入れていいということになると、何かあったら警察も構内に入れていいという話になり、結局大学の自治が侵害される(のだそうです・笑)。
これを逆にたどると、大学の自治を保つには、火事があっても消防を構内に入れてはいけない…のだそうです(本当かどうかは知りません・笑)。

統計がどうだろうが、血液型と性格に関係があると認めてはいけない。というのは、“科学”の自由が侵害されるから「ダメ」ということなんでしょうか?(笑)

まぁ、半分以上は冗談ですが。

by ABOFAN (2013-08-28 22:23)

************

実は、以前には
私は、数度の真摯な催促をもってしてもあなたから明示的な反論が来なくなった時点で、私は「貴方は私に反論ができなくなった」と判断するかもしれません。普段の貴方の常套手段ですから、そこは公平にお願いしますね。
by n (2013-07-20 01:49)
という発言をいただいています。
この内容がnさん自身にあてはまらないように祈るばかりです。
きくちさんやNATROMさんとは違って、せっかくいいところまでいったのですから…。
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コメント 18

n

数日おきに何度か返信しようと思ったのですが、貴方の上記の発言があまりに意味不明で、何をどう反論されたか理解できず、手が付けられない、というのが正直なところです。まあ、なんか書けと言われているので書きます。

>ところが、直後に全く正反対の記述があります。

「全く正反対」というのはどの部分ですか?

・坂元氏の研究において、ある年を境に突然有意差が出るようになったのは、生来の差では説明不可能で、思い込みによるものだ
・山岡氏の研究において、「高受容群」が数として増えたからと言って比例して「有意に出る項目数」が増えなかったことは、別の機序で説明可能だ

年代も手法も全然違う2つの研究に対して解釈を示したに過ぎず、特に矛盾はないと思いますけど。

「全く正反対」というのは、「思い込みである」と山岡氏がハッキリ言ってるものを「思い込みはない」と言ってみたりする、貴方の態度のことです。


>「イグゼンプラ」は、自分の血液型のことなら、血液型と性格の知識のあるなしに関係なく、性格の「自己認知」によって形成される、ということでいいか思います。となると、この「自己認知」が正しく(個人ではなく血液型ごとのグループでの比較なら)それは「生来の差」ということになります。

何を言ってるのか分かりませんが、とりあえず貴方の考える「イグゼンプラ」の定義を、20文字くらいで簡潔に述べてみませんか? 確実に、その定義が間違えていますから。

「イグゼンプラ」は「実体験に基づく情報」なのに、何故それが生来の差になったり、思い込みになったりするのですか。生まれる前から実体験しているのですか。この程度の現代文解釈で苦戦するようなら、心理学の論文に手を出す前に、代々木ゼミナール辺りからやり直すべきだと真剣に思います。

>あなたから明示的な反論が来なくなった時点で、私は「貴方は私に反論ができなくなった」と判断するかもしれません。普段の貴方の常套手段ですから、そこは公平にお願いしますね。

勿論これは今でも有効ですし忘れてはいませんが、せめて何を反論しているのか読み取れる平易な文章でお願いします。
by n (2013-09-08 18:08) 

ABOFAN

nさん、ご返事ありがとうございます。
が、今回は正直ガッカリです。

> 数日おきに何度か返信しようと思ったのですが、貴方の上記の発言があまりに意味不明で、何をどう反論されたか理解できず、手が付けられない、というのが正直なところです。まあ、なんか書けと言われているので書きます。

要するに、やる気がなくなったということですか?
#意味不明云々は、最初からの話で今に始まったことではないでしょう…。

>>ところが、直後に全く正反対の記述があります。
>「全く正反対」というのはどの部分ですか?
>・坂元氏の研究において、ある年を境に突然有意差が出るようになったのは、生来の差では説明不可能で、思い込みによるものだ
>・山岡氏の研究において、「高受容群」が数として増えたからと言って比例して「有意に出る項目数」が増えなかったことは、別の機序で説明可能だ
> 年代も手法も全然違う2つの研究に対して解釈を示したに過ぎず、特に矛盾はないと思いますけど。

本気で書いているなら、原典を理解していないということなんでしょうか?
それとも、初めから確信犯的に書いているのでしょうか?

一応、nさんの解釈を書いておきます。

【坂元さん】
ある年を境に突然有意差が出るようになったのは、テレビや血液型本の影響だ
→「高受容群」が数として増えたから「有意に出る項目数」が増えた
【山岡さん】
「高受容群」が数として増えたからと言って比例して「有意に出る項目数」が増えなかったことは、別の機序で説明可能だ
→テレビや血液型本の影響で「高受容群」が数として増えても「有意に出る項目数」は増えない

つまり、正反対ということになります。
nさんが、この2つの違いを明確に説明できない限り、nさんの説明は破綻します。
あるいは、坂元さんのときは、テレビや血液型本の影響でも、「高受容群」が増えなかったとでも?
だから、「有意に出る項目数」が増えたんですか?
まさか!

> 「全く正反対」というのは、「思い込みである」と山岡氏がハッキリ言ってるものを「思い込みはない」と言ってみたりする、貴方の態度のことです。

「思い込み」があるかどうかは現在議論中です。
しかし、上に書いたとおり、「高受容群」が数として増えても「有意に出る項目数」が増えるかどうか関係ないなら、坂元さんや山岡さんのデータは、初めから意味がないことになります。

本当にわかって書いてますか?

>>「イグゼンプラ」は、自分の血液型のことなら、血液型と性格の知識のあるなしに関係なく、性格の「自己認知」によって形成される、ということでいいか思います。となると、この「自己認知」が正しく(個人ではなく血液型ごとのグループでの比較なら)それは「生来の差」ということになります。
> 何を言ってるのか分かりませんが、とりあえず貴方の考える「イグゼンプラ」の定義を、20文字くらいで簡潔に述べてみませんか? 確実に、その定義が間違えていますから。

ひょっとして、私の説明を理解したくないんでしょうか?
あるいは、きちんと読んでないのでしょうか?
#その程度の知的レベルとは思えません…。

> 「イグゼンプラ」は「実体験に基づく情報」なのに、何故それが生来の差になったり、思い込みになったりするのですか。生まれる前から実体験しているのですか。この程度の現代文解釈で苦戦するようなら、心理学の論文に手を出す前に、代々木ゼミナール辺りからやり直すべきだと真剣に思います。

上に書いたとおりです。

>>あなたから明示的な反論が来なくなった時点で、私は「貴方は私に反論ができなくなった」と判断するかもしれません。普段の貴方の常套手段ですから、そこは公平にお願いしますね。
> 勿論これは今でも有効ですし忘れてはいませんが、せめて何を反論しているのか読み取れる平易な文章でお願いします。

「イグゼンプラ」は(百歩譲って)置いておくとしても、冒頭の坂元さんと山岡さんのデータの比較はヒドイですね。自分で書いている内容がわからないのでしょうか?
正直、知的レベルを疑います。

失礼しました。

by ABOFAN (2013-09-08 22:48) 

桃太郎

 私は見ているだけだったのですが…。
 ABOFANさんの書き方があまりにもnさんに対して失礼の度が過ぎると思うので少し書きこませてください。
 私は心理学はよく知りませんが、ここしばらく、ふとなんとなくお二人のやり取りを見ていて、少なくともnさんの書いてらっしゃることは基本的には理解できましたし、納得できます。しかし、ABOFANさんの書いてらっしゃることはカケラも理解できません。何が言いたいのかという言葉のレベルで理解できないのです。どなたかわかる方に解説していただきたいのですが、他の方のコメント等をざっと見たところでは無理なようですし、たぶん、私がそれほど特殊なわけではないと思います。
 ですから、私は(少なくとも国語力という点で)ABOFANさんの知的レベルのほうを疑います。

 失礼しました。(と書けば、どんなに失礼なことを書いても許されるのですね)

by 桃太郎 (2013-09-09 18:41) 

ABOFAN

桃太郎さん、こんばんは。
もし、私の文章がわからないのであれば、それはひょっとして国語力の問題ではなく、統計の基礎と、ロジカルシンキングの問題かもしれません…。
失礼しました。

by ABOFAN (2013-09-09 21:25) 

いちゃもんつけ太郎

高校レベルの命題論理も身についていないABOFAN様がロジカルシンキング云々言うのは滑稽ですね。
by いちゃもんつけ太郎 (2013-09-09 22:25) 

n

無断で返答が遅れていたことについては申し訳ありません(見苦しい言い訳ですが、ここ2週間は本当に徹夜続きの忙しさだったのです)。

>【坂元さん】→「高受容群」が数として増えたから「有意に出る項目数」が増えた
>【山岡さん】→テレビや血液型本の影響で「高受容群」が数として増えても「有意に出る項目数」は増えない
>つまり、正反対ということになります。

なるほど、ABOFANさんが「正反対」だと思った理由についてはよく分かりました。ABOFANさんが、上記の前者と後者の両方で、身勝手な解釈をしているからです。

まず前者、坂元氏の研究の話。彼の研究にはそもそも「高受容群が増えたか」が分かるような意識調査は一切含まれていません。また彼は各血液型の群に対してTypeI~IVのスコアを計算し、各年度1回だけ分散分析を行っています(Table 3)。坂元氏の論文を見て『高受容群が数として増えたから有意に出る項目数が増えた』と解釈する貴方は、何から何まで間違っています。原典を理解していないのは貴方です。貴方がこんな突飛な読解をしたことを私が予想できなくても、私の知能のせいではないはずです。

次に後者、山岡氏の研究の話。私は確かに「だいたいテレビの影響があると有意に出る項目数が増えるべき、というのも正しくありません」と書きました。しかしこれは、あくまで貴方の「高受容群の同士を比べる」という珍妙な手法について指摘している部分です。直前・直後の文章を読めば分かる通り「1999年の高受容群と2004年の高受容群とを比べた場合」に限定した話をしているのですから、勝手に一般論化しないでください。

貴方は「1999年の高受容群649人(全体の50%)の分析」と「2004年の高受容群795人(全体の58%です)の分析」を比べ、有意に出る項目数が減ったので、マスコミの影響はない、と主張しています。私は、そのような「高受容群同士を比べる」という珍妙な比較は誰もやってないし、意味が無いし、仮に比較しても(テレビの影響によって)有意に出る項目数が増えるとは限らない、と述べました。そんなことより、50%が58%に増えた事自体が厳然たる「マスコミの影響」として重要だし、山岡氏が研究で書いてあることはそういうことだ、と述べました。こういった大事な部分にはただの一言も反論がないですね、まだ。

明確に説明しましたよ。上記の坂元氏と山岡氏の2つの話には本来関係がありません。貴方は「有意に出る項目数が増える/増えない」の十数文字の言葉尻に食らいついただけに過ぎません。上記2つの話を勝手に結びつけて「正反対」と笑われる筋合いはどこにもありません。正直、知的レベルを疑います。なぜこんな話を、出来の悪い中学生に噛み砕くように説明してあげないといけないんですか。こんなレベル、統計学でも心理学の話でも何でもありません。私にとっては成績の悪い学生に無料で国語の家庭教師をしてあげているも同然で、学問的に面白い反論は貴方から何ら出てきません。「議論が佳境に入ってきた」と貴方が喜んでいるのが信じられません。

私の考えを整理しておきます。

(A)2004年の単年度において「低受容群」「高受容群」を分け、後者で有意に出る項目数が圧倒的に多い。この解析には意味がある。山岡氏が主張するとおり、思い込みの存在を強く支持する結果である。
(B)「1999年の高受容群」と「2004年の高受容群」を比べて有意に出る項目数を比較したところで、「思い込みの有無」や「テレビの影響の有無」について言及できない。ABOFANさん以外の誰もやっていない分析であり、この分析自体に意味がない。

学術的な話をしたいなら上記(A)(B)について正面から反論をどうぞ。


で、「イグゼンプラ」の話については、引き続き私の知能レベルでは貴方の日本語が理解できません。

渡邊氏の論文は(タイトル見ても分かる通り)「血液型と性格特性についての認識がイグゼンプラによって形成される」というテーマであり、貴方の文章のしょっぱなにある「イグゼンプラが性格の自己認知によって形成される」という話が既に逆方向です。渡邊氏の論文には「イグゼンプラは経験に基づく情報」と定義されており、「イグゼンプラは生来のものである」わけがありません。ABOFANさんの日本語を見ても、貴方がイグゼンプラを如何なる概念だと捉えているのか、予想も付きません。なので貴方の「イグゼンプラ」の概念を20文字くらいで説明してください。
by n (2013-09-09 22:58) 

桃太郎

 いえ、文章が理解できないのでそれ以上に何も言えないと思うのですが…。ABOFANさんが言われているのはその先の話ですよね。
 いろんな意味ですごいですね。失礼しました。
 どちらにしても、私は別にABOFANさんと議論したいわけではないので(それにそんな能力も「カケラも」ないですし)、これだけにしたいと思います。
by 桃太郎 (2013-09-09 23:56) 

せぷ10BAR

>もし、私の文章がわからないのであれば、それはひょっとして国語力の問題ではなく、統計の基礎と、ロジカルシンキングの問題かもしれません…。

とは、

もし、私(ABOFANさん)の文章がわからないのであれば、それはひょっとして(桃太郎さんの)国語力の問題ではなく、(ABOFANさんの)統計の基礎と、(ABOFANさんの)ロジカルシンキングの問題かもしれません…。

ということですか。
by せぷ10BAR (2013-09-10 06:37) 

ABOFAN

おはようございます。

> 高校レベルの命題論理も身についていないABOFAN様がロジカルシンキング云々言うのは滑稽ですね。

まずは、辞書を引いたり、心理学の文献を読まれてはいかがでしょうか?

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nさん、おはようございます。
朝なので時間がないのでちょっとだけ。
山岡さんの分析はこうなっています。
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山岡(1999)では、血液型ステレオタイプ高受容群では15項目で血液型の主効果が認められたが、低受容群では1項目も主効果が認められなかった。高受容群は自らの性格を血液型ステレオタイプに当てはめて認知しているために差が認められたが、低受容群はそのような自己認知の枠組みがないために血液型による差が認められなかったのだと山岡(1999)は解釈している。本研究の結果は、「自分は血液型性格診断をよく知っている、かなり信じている」という自己スキーマが形成される前の段階、TV番組を見て楽しんで情報を受容した段階でこのプロセスが生起し始めることを示唆している。
-----
このプロセスは、坂元さんの研究に当てはまらないというのも不思議ですし、また、

> 貴方は「1999年の高受容群649人(全体の50%)の分析」と「2004年の高受容群795人(全体の58%です)の分析」を比べ、有意に出る項目数が減ったので、マスコミの影響はない、と主張しています。私は、そのような「高受容群同士を比べる」という珍妙な比較は誰もやってないし、意味が無いし、仮に比較しても(テレビの影響によって)有意に出る項目数が増えるとは限らない、と述べました。

とは、どう考えても矛盾すると思いますが?

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桃太郎さん、どうもお疲れ様でした。

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せぷ10BARさん、文章をどのように解釈しても、それはその人の自由です。(笑)

by ABOFAN (2013-09-10 07:36) 

いちゃもんつけ太郎

>まずは、辞書を引いたり、心理学の文献を読まれてはいかがでしょうか?

ロジカルシンキングとは別の話ですね。
いいから数学Aの教科書でも読んでください。
by いちゃもんつけ太郎 (2013-09-10 08:33) 

n

繰り返しですが、坂元氏の論文には高受容群かどうかという意識調査自体ありませんし、有意に出る特性の個数を数えることもできません。何ら言及されていない話題を「プロセスが当てはまるから」の一言で持ち出しても何ら正当化されません。

次。貴方が引用した山岡氏の文章は、「高受容群/低受容群」のみならず「TV番組高享受群/低享受群」の比較でも違いが見いだされたことを受け、それを解釈したものです。「1999年の高受容群/2004年の高受容群」を比べるようなことを山岡氏はしていません。貴方だけが披露した珍妙な調査と、山岡氏の文章とで、矛盾が生じるわけがありません。たった2ページの日本語の抄録を見て、何と何を比較したかすら理解できていないのでしょう。

とりあえず、ここ数回の貴方のABOFANさんの発言はかなり酷いレベルに達しています。

●坂元氏の論文を見て「高受容群ほど有意に出る項目数が多い」という話だと思っている。意識調査すらしてないのに。
●山岡氏の研究を見て「1999年の高受容群と2004年の高受容群を比較した」という話だと思っている。やってません。
●渡邊氏の論文を見て「自己認識がイグゼンプラを形成する」という話だと思っている。逆です。

数年以上サイト運営していて、彼らが何の研究をしているのかすら何一つ正しく理解してないレベル。すべて複数回間違いを指摘していますが反省の色なし。「文章をどのように解釈しても、それはその人の自由です」というスタンスは論文では通用しませんよ。小説の鑑賞じゃないんだから。
by n (2013-09-10 16:58) 

ABOFAN

いちゃもんつけ太郎さん、こんばんは。

>>まずは、辞書を引いたり、心理学の文献を読まれてはいかがでしょうか?
> ロジカルシンキングとは別の話ですね。
> いいから数学Aの教科書でも読んでください。

まず、ご自分で辞書を引いたり、心理学の文献を読まれてはいかがでしょうか?
先ず隗より始めよともいいますし。(笑)

----------

nさん、こんばんは。まず、

> 無断で返答が遅れていたことについては申し訳ありません

は、全然気にしていませんので、そう真面目に返事されても困ります。(笑)
単純に、回答を要求しているだけですので、ご返事さえいただければ満足です。

さて、今回はもう少し丁寧に回答しますので、どうかよろしくお願いします。m(._.)m

> 坂元氏の論文を見て『高受容群が数として増えたから有意に出る項目数が増えた』と解釈する貴方は、何から何まで間違っています。

まず、「自己成就現象」の定義からです。
例えば、ネットで検査すると、

-----
はてなキーワード > 自己成就予言
個人が、意識的あるいは無意識的に、自己の予言や主観的期待に沿うような結果を生じさせる行動をとったために、自己の予言や期待通りの結果が出現する現象。または、そのような予言。
例えば、「血液型占いは正しい」という期待を持った時、A型で神経質な人とそうでない人の両方を見たにも関わらず、無意識的にA型で神経質な人のことだけを選択的に記憶していくことにより、「やはり、身近な人にもよく当てはまっているから、血液型占いは正しい」という期待通りの結果を自分で生み出してしまうという現象などがそれに当たる。…
-----

まぁ、これが一般的な定義かと思います。
では、仮に坂元さんの研究で「高受容群」がゼロだとするとどうでょうか?
考えるまでもなく、差は出ないでしょう!
つまり、「高受容群が数として増えたから有意に出る項目数が増えた」とするしかありません。
以前はほとんど差がなかったのが、ある時点から有意差が出るほど劇的に差が増えたというなら、「高受容群が数として『劇的に』増えたから有意に出る項目数が増えた」以外の選択肢はありません。
もっとも、「高受容群」がゼロでも差が出る、という考え方もあります。
しかし、その場合は「思い込み」はないはずなので、差は「本当の差」であるということになります。
ここまではよろしいでしょうか?

> 貴方は「1999年の高受容群649人(全体の50%)の分析」と「2004年の高受容群795人(全体の58%です)の分析」を比べ、有意に出る項目数が減ったので、マスコミの影響はない、と主張しています。

山岡さんには悪いのですが、実は以前に紹介した「血液型性格判断の差別性と虚妄性」には「2009年4月は熟知度は高いが確信度は最も低くなっており、知識が増えれば単純に信じるようになるわけではないようである」とあります。
つまり、上の坂元さんの分析は否定されることになります。
#極論すれば、「高受容群」で差が出るのは、必ずしもテレビの影響(だけ)ではないということになります。

結局、やっぱり坂元さんと山岡さんの分析は真逆になるということです。

> 上記の坂元氏と山岡氏の2つの話には本来関係がありません。

関係ないなら、そもそも、どちらの研究も一般化できないことになります。
例えば、『50%が58%に増えた事自体が厳然たる「マスコミの影響」として重要』は、山岡さんのサンプルだけで有効で、一般化できないので否定されます。
つまり、nさんの自己否定ということです。
本当にいいのですか?

> 貴方の文章のしょっぱなにある「イグゼンプラが性格の自己認知によって形成される」という話が既に逆方向です。渡邊氏の論文には「イグゼンプラは経験に基づく情報」と定義されており、「イグゼンプラは生来のものである」わけがありません。

「イグゼンプラは経験に基づく情報」なら「イグゼンプラが性格の自己認知によって形成される」としか考えようがありませんが?
そして、自己認知が正しいとするなら、(テレビや血液型本には影響されないので)「イグゼンプラは生来のものである」となります。
もし、これを否定するなら、イグゼンプラがどう形成されるかを明確にする必要があります。

> 繰り返しですが、坂元氏の論文には高受容群かどうかという意識調査自体ありませんし、有意に出る特性の個数を数えることもできません。何ら言及されていない話題を「プロセスが当てはまるから」の一言で持ち出しても何ら正当化されません。

前述したとおり、坂元さんが明確に高受容群に言及してあるかどうかとは関係なく、坂元さんと山岡さんの分析は真逆になります。

では、なぜnさんが、こんな無理に無理を重ねた解釈をせざるを得ないかというと、それは「天動説」(=血液型と性格は関係ない)が正しいことにしないと、大変なことになる(“聖書”が否定される・笑)と思っているからでしょう。
そろそろ「地動説」(=血液型と性格は関係ある)が正しい、とした方が良くないですか?

ということで、大変申し訳ありませんが、今回も大笑いしてしまいました。

by ABOFAN (2013-09-10 23:43) 

いちゃもんつけ太郎

>>まずは、辞書を引いたり、心理学の文献を読まれてはいかがでしょうか?
> ロジカルシンキングとは別の話ですね。
> いいから数学Aの教科書でも読んでください。
>
>まず、ご自分で辞書を引いたり、心理学の文献を読まれてはいかがでしょうか?

日増しに日本語が通じなくなってきていますね。
by いちゃもんつけ太郎 (2013-09-10 23:55) 

n

>では、仮に坂元さんの研究で「高受容群」がゼロだとするとどうでょうか?考えるまでもなく、差は出ないでしょう!
>もっとも、「高受容群」がゼロでも差が出る、という考え方もあります。しかし、その場合は「思い込み」はないはずなので、差は「本当の差」であるということになります。

えーと、念のためですが、ABOFANさんは本当の差(生来の、遺伝的な、血液型による性格の差)があると思っている、という立場でいいんですよね?
議論の都合で敢えて「本当の差」がないと仮定して議論を進めているのですよね。

1984年を境として「高受容群」が増えたのかな、という予想自体は妥当だと思いますが、しかしそれは坂元氏の研究からの「予想」であって、坂元氏の研究自体に含まれ、証明された内容ではありません。

>山岡さんには悪いのですが、実は以前に紹介した「血液型性格判断の差別性と虚妄性」には「2009年4月は熟知度は高いが確信度は最も低くなっており、知識が増えれば単純に信じるようになるわけではないようである」とあります。つまり、上の坂元さんの分析は否定されることになります。

どういう意味でしょう。坂元氏の調査は2009年も絡まず、熟知度や確信度について経年変化を追跡してもおらず、テレビやマスコミの影響を語ったわけでもないです。「高受容群が増えれば差がつく」というだけの話であれば、山岡氏の研究は坂元氏の論文から見いだされる予想と一致していると思いますが。

何にせよ貴方の長文を見る限り、「坂元氏の研究と山岡氏の研究が直接矛盾している」わけではないですね。「坂元氏の研究から貴方が下した推理」と、「山岡氏の研究から貴方が見いだした推理」が、どこか貴方の頭の中で不整合を来しているのかもしれませんが、皆さん「理解できません」と言っている通りです。分かるように説明してください。

で、後半については相変わらずですねえ。

>もし、これを否定するなら、イグゼンプラがどう形成されるかを明確にする必要があります。

それは無理です。

再三指摘していますが、何らかの機序で「イグゼンプラが形成される」という話じたい、渡邊氏の論文には一言も出てこないからです。イグゼンプラはプロトタイプと同様、ステレオタイプを形成する要因として登場する概念です。

>イグゼンプラも信念形成時に利用されていると考えれば(略)もう一つの信念形成過程の説明の可能性を与えることができる

>本研究の目的は、血液型ステレオタイプの形成に際し、プロトタイプとイグゼンプラの2種の情報処理形態の役割を明らかにすることにある。

>具体的に言えば、特定の血液型を持つ人が特定の性格を持っているという具体的情報(イグゼンプラ)を一般化して、その性格がその血液型の人々に一般的な性格であると考えてしまっている可能性を、ここではイグゼンプラによる信念形成と考える。

>プロトタイプとイグゼンプラのいずれが血液型ステレオタイプのもとになっているかを明らかにする

渡邊氏の論文は「イグゼンプラがステレオタイプを形成する」という話であり、イグゼンプラがどう形成されるかの話ではありません。
貴方は「小麦からパンを作るレシピ」を見て、「パンから小麦が作られる! 違うというなら小麦の作り方をどう説明するのだ!」と吠えているのです。小麦の育て方が書いてある訳がないでしょう。

それでも私の言っていることが間違っていると思うなら、渡邊氏の論文をもう一度頭から読んでください。「イグゼンプラがどう形成されるか」など何処にも書かれていない、と理解できるはずです。万が一、それでも理解できなかったなら、高卒レベルの日本語力すらなしに妄想だけで人の文章を身勝手に解釈する危険人物ですから、統計や数学や心理学の専門書を一旦全部捨て、サイトもブログも閉鎖し、センター試験の問題集でも買って、点をとる練習から始めなさい。この指摘は少なくとも3回目ですよ。

ちなみに論文の全文はここで読めますので、興味がある方はどうぞ。10ページありますが、ABOFANさんの誤読を判断するだけなら最初の3ページを読めば十分でしょう。
http://ci.nii.ac.jp/naid/110002785240
by n (2013-09-12 00:11) 

n

ん。さっきお風呂に入りながら考えていたのですが、もしかして、ABOFANさんは「小麦からパンが作られる」ことは一応理解した上で、渡邊氏の論文に何ら記載されていない「小麦の育て方」の方をひたすら解釈しているのでしょうか。

ABOFANさんが言う「イグゼンプラは生来の差」の「生来の差」というのは、「遺伝的要因などにより生まれつき血液型による性格の差がある」という意味ですか? それとも単に「(血液型によるかどうかはともかく)人の性格はそれぞれ違っている」といった程度の意味ですか?
by n (2013-09-12 01:02) 

ABOFAN

nさん、ご回答ありがとうございます。

> えーと、念のためですが、ABOFANさんは本当の差(生来の、遺伝的な、血液型による性格の差)があると思っている、という立場でいいんですよね?
> 議論の都合で敢えて「本当の差」がないと仮定して議論を進めているのですよね。

おっしゃるとおりです。
少しは議論がかみ合ってきて、うれしい限りです。

> 1984年を境として「高受容群」が増えたのかな、という予想自体は妥当だと思いますが、しかしそれは坂元氏の研究からの「予想」であって、坂元氏の研究自体に含まれ、証明された内容ではありません。

おっしゃるとおりです。
ただ、1984年を境として「高受容群」が増えたとしないと、

1. 山岡さんの研究は一般化できない(ので否定される)
2. 出版される本が激増して「高受容群」が増えたという事実に反する
(もっとも、私はこの坂元さんの見解には懐疑的です・苦笑)
4. つまり、データの差=自己認知は、「自己成就」とは言えない
3. 結局、データの差=自己認知は、「本当の差」とするしかなくなる

ということになります。
ということで、どう考えても坂元さんのデータを説明できなくなります。
この点について、nさんはどういう知見をお持ちでしょうか?
興味があります。
それとも、上の1.~4.は単なる推測であって、証明されたとは言えないということでしょうか?
ただ、そこまで厳密にということなら、「思い込み」は単なるデータによる推測ですので、否定しないとおかしい(少なくとも証明されたとは言えない)と思いますが?
いかがでしょう?

>>山岡さんには悪いのですが、実は以前に紹介した「血液型性格判断の差別性と虚妄性」には「2009年4月は熟知度は高いが確信度は最も低くなっており、知識が増えれば単純に信じるようになるわけではないようである」とあります。つまり、上の坂元さんの分析は否定されることになります。
> どういう意味でしょう。坂元氏の調査は2009年も絡まず、熟知度や確信度について経年変化を追跡してもおらず、テレビやマスコミの影響を語ったわけでもないです。「高受容群が増えれば差がつく」というだけの話であれば、山岡氏の研究は坂元氏の論文から見いだされる予想と一致していると思いますが。

ここの、『「高受容群が増えれば差がつく」とはというだけの話であれば、山岡氏の研究は坂元氏の論文から見いだされる予想と一致していると思いますが。』は意味不明です。
まず、

1. nさんによると、坂元さんの研究では「高受容群が増えれば差がつく」とは言えません。なぜなら「高受容群」のデータがないからです。
2. nさんによると、山岡さんの研究では「高受容群が増えれば差がつく」ことは、2005年のデータ(有意差が出た項目数が減った)で否定されています。

単なる勘違いでこう書いたのか、それとも考えが変わったのか、あるいは別な意味があるのか、どうなんでしょう?

「イグゼンプラ」の件は、基本的には上の件と関連してくるので、大変申し訳ありませんが、しばらく棚上げということでいいでしょうか? たぶん、この件が解決しないと、時間のムダになりそうなので…。

恐縮ですが、よろしくお願いします。m(._.)m

by ABOFAN (2013-09-12 08:07) 

n

>>議論の都合で敢えて「本当の差」がないと仮定して議論を進めているのですよね。
>おっしゃるとおりです。少しは議論がかみ合ってきて、うれしい限りです。

そういう大事な仮定の話をするのであれば、明記してください。これがABOFANさんなら「本当の差がないというのは今までの貴方の話と正反対です!大笑いしてしまいました」と言う所ですよ。

>ただ、1984年を境として「高受容群」が増えたとしないと(略)どう考えても坂元さんのデータを説明できなくなります。

1984年を境として高受容群が増えたという予想自体は妥当だと思っています。

>1. nさんによると、坂元さんの研究では「高受容群が増えれば差がつく」とは言えません。なぜなら「高受容群」のデータがないからです。
>2. nさんによると、山岡さんの研究では「高受容群が増えれば差がつく」ことは、2005年のデータ(有意差が出た項目数が減った)で否定されています。

1.の方はまあ良いでしょう。「論文で作者が直接示した結果」「その結果から作者が行った考察」「その論文からABOFANさんが勝手に考えた考察」は厳密に分け、明記しながら議論して下さい。貴方の文章はいつもその辺りがぐちゃぐちゃで、論文作者に失礼です。

2.に関しては、2013-09-09の私の文章を読んでないですよね。山岡氏の研究自体は紛れもなく「高受容群が増えれば差がつく」という研究です。

「有意差が出た項目数が減った」というのは、貴方が勝手に行った頓珍漢な比較による結果ですよね。繰り返し聞きますが、「1999年の高受容群」と「2004年の高受容群」を比べて有意に出る項目数を比較する行為に、いったい何の意味があるのですか?
by n (2013-09-12 09:37) 

ABOFAN

> 山岡氏の研究自体は紛れもなく「高受容群が増えれば差がつく」という研究です。
> 「有意差が出た項目数が減った」というのは、貴方が勝手に行った頓珍漢な比較による結果ですよね。繰り返し聞きますが、「1999年の高受容群」と「2004年の高受容群」を比べて有意に出る項目数を比較する行為に、いったい何の意味があるのですか?

血液型と性格の常識(8)
http://abofan.blog.so-net.ne.jp/2013-09-12-1
で、私の考えをまとめました。
ご問・ご批判いただけれはありがたいです。
どうかよろしくお願いします。m(._.)m

by ABOFAN (2013-09-12 19:21) 

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